偽善者という言葉の怖さの乗り越え方

  • 2017年11月15日
  • 2020年5月17日
  • 人間関係
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アイツまた媚売ってるよ。
外面だけはいいんだよねー。
計算高いから内心ではそろばん弾いてるよね。

今回のテーマは「偽善」「偽善者」についてです。

個人的に、偽善という言葉は好きではありません。
人のことをとやかく言うだけで、「偽善だ」という人は「傍観者」だからです。
見てるだけなのに口出すな、と。

ま、少し私情が入りましたが、
偽善という言葉や人の目によって自分の行動に迷ったり、
自分の気持ちいい生き方を抑えていたりする方に向けて、
「偽善」や「人の目」とどう付き合っていったらいいかについて説明していきます。

何をやってもとやかく言われ、生きづらい世の中ですが、
あなたの思考や行動の軸にしてもらえたら嬉しいです。

1.人が批判したくなるとき

まず、偽善に限らず人が批判したくなる仕組みについて説明します。

人が誰かを批判したくなるのは、そんなに複雑な構造になってはいません。
その人が意識してか無意識かは状況によりますが、
人を批判したくなる理由は二つだけです。

  • 目の前の人が自分の「こうするべき」というルールを破っているとき
  • 目の前の人を羨ましいと感じる時

人は自分の中に「こうするべき」というルールを持っています。
親や学校の先生、社会で教えられた守らなければいけないと思っているルールです。
それを目の前で破られたとき、「それはおかしい」と言いたくなるのです。

また、自分は我慢しているけど自分もやろうと思えばそれぐらいできるとか、
単純に人が得ている結果が羨ましい時に、難癖をつけたくなります。

それは、今回の偽善についても同じです。

「偽善だ」「偽善者だ」と言われるから抑えている行動を目の前で相手にされると、
「こうするべき(しないべき)」というルール違反だと騒ぎたくなる。

あなたが何かをして褒められたり、感謝されたりする姿を見て羨ましいと思う。
ただ、その羨ましいという気持ちをストレートに出すことができないから「偽善だ」という言葉を使う。

人の批判や「偽善だ」という言葉なんて、紐解いてしまうとこんなものです。
ルール違反や羨ましさによって騒ぎたいだけなのです。

2.ルールを守るのか破るのか

では、批判されないために相手のルールを守りながら生きていくのか、
それとも、相手のルールは無視して自分のやりたいように生きるのか。

ここについては、ぜひ後者を選んで欲しいなと思います。

この自分に課したルールが多ければ多い程、
この世界で生きることは大変になり満たされなくなり不満が溜まっていきます。
その不満の一つが「偽善だ」という声なのです。

要は、あなたがここで、
「『偽善者だ』と言われるから、人のためになることはやめよう」と決めた瞬間から、
人のために何かをやっている人を見るたびにモヤモヤするようになるのです。
ルール違反だとモヤモヤしたり、羨ましいと感じたり。

「合わせるなら幸せな方に合わせる」のがいいです。

ルール・常識・空気、そんなものにがんじがらめになって、
本来の自分から離れ、不満やイライラをためて自信がなくなっていくぐらいなら、
批判されたとしても、自分の気持ちに従った方が気持ちがいい。

ぜひ、選択をするのであれば、周りに合わせる方ではなく、
自分の気持ちに従うことをオススメします。

3.全員に理解されようとしない

とは、言っても、やはり批判されることは嫌なものです。
そんな時に先に準備しておくと、気持ちが楽なり自分本来の選択ができる考え方を紹介します。

それが、「全員に理解されようとしない」ということです。

もちろん、全員に理解されて全員に好かれる方が気持ちがいいとは思います。
しかし、そんな状況は現実的にありえないし、
もし、それが可能だとしても、前述の通り自分は幸せに感じません。

人からは好かれるけど、自分は自分のことが好きじゃない。
という感じになっていきます。

だから、先に「全員に理解されなくてもいい」「全員から好かれなくてもいい」と、
先に、嫌なことを受け入れてしまってください。

すると、今からしようとすることの抵抗やブレーキを先に受け入れているから、
自分がしたいことをやり安くなります。

また、あなたも誰と付き合うかを決めていいのです。
全員を理解してあげよう、嫌いにならないであげよう、付き合っていてあげよう、
なんて考える必要はありません。

相手と同じように自分も誰と付き合うかを決めていいのです。
お互いに好き嫌いがあって、好きなもの同士で付き合いを深めていったらお互いに幸せです。

だから、理解してくれる人と理解してくれない人が出てきたあとに、
理解してくれる人とだけ世界を作る、それだけで生きやすく楽しい人間関係が広がっていきます。

4.自分を縛るルールの確認

ここで少し、楽で幸せな心の状態に向けて、別の角度からアプローチしていこうと思います。

先程から説明している通り、人は無意識に数多くの自分ルールを持っており、
このルールが少なければ少ないほど、自由に満たされた気持ちで毎日を送ることができます。

そして、確認して欲しいことは、
あなたに「相手のために何かするべき」「相手の役に立つべき」という自分ルールはありませんか?
ということです。

「相手のため」が正解で自分を優先してはいけない、というルールがあると、
それはそれで苦しくなっていきます。
そのルールは、昔、親や先生、社会から教わったルールかもしれません。

もし、あなたに心当たりがある場合は、
「相手のことを優先しなければならない」「役に立たなければならない」というルールを捨ててみてください。

自分も大事にしていい。
自分を優先してもいい。
と、自分に語りかけながら、実際に自分を優先したり大事にしたりする行動を起こしてみてください。

要は、一回悪い奴になってみるということです。

すると、自分を縛るルールがなくなり
自分を大事にしてもいいし相手を大事にしていいというフラットな状態で、
自分のしたい方を選べるようになっていきます。

5.自己満足ができたらいい

最後に、自己満足できたらいいという話をしたいと思います。

偽善や偽善者という言葉についてもそうですが、
私たちが生きていく上で、行動基準を揺るがす言葉や人の目があるかもしれません。

そんな時に、自己満足できるのはどっちだろうと自分で考えてみてください。
自己満足と書くとネガティブな印象が伴うかもしれませんが、
自己が満足するんだから、とても素敵なことだと私は捉えています。

自分が満足する、自分が納得できることは今どいういう行動なのだろうか。
ということです。

私自身、自分の進路や行動に迷うこともあるのですが、
そんなときは、一度、自分に聞いてあげています。
「自分が死ぬときに後悔しないのはどっちだろう」と。

一旦立ち止まって、自分が納得する方向を考えてみるのです。
そうやって選んでいくと、納得して気持ちよく自分の選択をすることができます。
おかげで今まで後悔をしたことがありません。

ぜひぜひ、他人の言葉は一旦置いておいて、
自分の自己満足や自己納得に貪欲になってみると面白いと思います。

6.まとめ

今回は、「偽善」や「偽善者」をテーマに、人との付き合い方や行動指針の話をしました。

他人は他人だし、陰口はしょせん”陰”口です。
他人が自分の人生の責任をとってくれるわけではなく、
しょせん”陰”なので、自分は道の真ん中の日が当たるところ歩くまでです。

ほんと「偽善」って嫌な言葉だし、くだらない言葉ですよねぇ。
少し感情が入り、話が大きくなりましたが、
ぜひ、他人や言葉に縛られず、「自分」を追求してもらえたらと思います。

私も「自分」への追求は道の途中というか、一生終わらないものだと思いますが、
同じように生きている人や生きようとしている方に「同志」のような気持ちを感じています。

この記事がその背中を押すものとなったら、とても嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

居場所がないと感じる理由と本当の居場所を作る方法に、
他人との間に居場所を作るのではなく、自分の中に自分の居場所を作る話をしています。
自分の中に居場所を作ってしまったら、人間関係はものすごく楽になるのでぜひ参考にしてみてください。