中途半端な自分を嫌う苦しさから解放される方法

  • 2015年5月4日
  • 2020年5月17日
  • 自信
  • 1792回
  • 0件

何をやっても最後までやりきれない。
それなりの結果しか出ない自分が嫌だ。
本当はこんなもんじゃないはずなのに。

もうこんな中途半端は嫌だ。

中途半端な自分を責め続けることはとても辛いことだと思います。
私も、中途半端な自分を嫌い、できるだけ遠くへ行きたいと思っていました。
しかし、その度に「それなり」の自分に気づき、ひどく落ち込んでいました。

この記事では、中途半端な自分がなぜ嫌いなのか、その理由を明らかにし、
どうしたら中途半端な自分と仲直りできるのかについて説明します。

ぜひ自分を認め、充実した気持ちを感じながら生活してもらえたらと思います。

1.なぜ中途半端な自分が嫌いなのか

まず、最初に中途半端な自分がなぜ嫌いなのかについて説明します。
一言でその問いに答えると
「何かを最後までやり切ることは素晴らしく、中途半端な結果はダメだと決めているから」ということになります。

その価値基準で物ごとを見て、自分自身もその基準で裁いているのです。
何かをやり通せる自分は素晴らしく、中途半端な自分はダメな存在だと思い、
何でもやり通せる孤高の存在を目指しているということです。

一見、結果が出ることはマルで中途半端はバツであることに違和感を抱かないかもしれません。
しかし、この基準はすべての人が持っているわけではなく、
今の自分を認め楽に生きる上では邪魔になる価値基準なのです。

2.価値基準のルーツ

次に、なぜ自分を苦しめることとなる価値基準を作ったのかについて探っていきます。

①親の教えに背いてはいけない

価値基準の多くは、親のしつけによって身につきます。

また、親の態度から子どもながらに「こうするべき」というルールを作る場合もあります。
親の冷たい態度や残念そうな表情から正誤善悪を決めていくのです。

「中途半端」についても同様で、「最後までやり通すことがよい」というしつけや、
失敗したり途中で投げたしたりすると怒られたなどの経験により身につけていきます。

そして、このしつけや自分が決めたルールが苦しいのであれば、
価値基準を自分で変えていっていいのです。
もし、この時点で「中途半端でもいい」と思えたのであれば、
ここでこの記事を閉じてしまっても構いません。

しかし、そうではなく、今までの価値基準を変えることに抵抗がある場合は、
もしかしたら「親に認められないことが怖い」という気持ちがあるのかもしれません。

傷ついた経験、否定された出来ごと、愛されていないという絶望を経て、
「親の教えに従わなければ愛してもらえない」と強く思った可能性があります。
言葉を変えると、「親の望む通りになれば愛される」という考えがあるということです。

②親のようにはなりたくない

また、逆に、「親のようにはなりたくない」「親の言いなりにはなりたくない」という気持ちから、
「すごい自分」「親とは違う自分」になろうとしている場合があります。

上記①とは真逆に感じるかもしれませんが、
①と同様に、傷ついた経験や愛してもらえなかったと感じた出来ごとがそのベースにあります。

ただ、「親のようになりたくない」というのは、
傷ついた経験や愛してもらえなかったと感じた出来ごとが憎しみや反発、拗ねという形になったということです。

「親とは違う自分になって親を見返そう」「世の中に認めさせてやろう」という気持ちの裏には、
やはり親に認められたい・愛されたいという気持ちがあるのではないでしょうか。

3.判断基準を手放していく

では、いよいよ自分を苦しめる判断基準を手放していきます。

上記①②に対して、判断基準を手放す方法を説明していきますが、
その前に、どちらにも共通して事前にやってほしいことがあります。
それは、判断基準の下にある「満たされていない感情」を癒してあげることです。

判断基準を手放す方法を説明しても、その判断基準に執着する場合があります。
それは、その判断基準の下に「癒されていない感情」がこびりついているからです。

ですので、上記①②に共通して、まず「癒されていない感情」に気づき、
わかって欲しかったこと、訴えたかったことを今のあなたがわかってあげてください。
傷ついた自分をあなたが受け止めてあげてください。

満たされない気持ちを癒す方法は、
「自己評価が低い」ダメな自分を認める方法に具体的に書いてあるのでリンク先をご参照ください。

①親の教えに背いてはいけない

上述の通り、親の教えに背いてはいけないという縛りの裏には、「認められたい」「愛されたい」という気持ちがあります。
また、「認めてられたい」「愛されたい」ということは、
今「認められていない」「愛されていない」と思っているということです。

しかし、その「認められていない」「愛されていない」というは本当でしょうか?
確かに、否定されたり、怒られたりされたかもしれませんが、
それが「認められていない」「愛されていない」に直接リンクするのでしょうか?

ぜひ、「認められていない」「愛されていない」ところを疑ってみてください。
疑うことで今まで見えていなかったことに焦点があたり、新しい事実が見えるようになります。

そして、「あれでも認められていたいんだ」「あれでも愛されていたんだ」とぼんやり思いを巡らせてみてください。
本当にそう思う必要はありません、ぼんやり考えてみるだけでいいのです。

あなたは、過去に否定され、怒られ、もしかしたらひどいことをされたかもしれません。
しかし、あなたは否定される存在でも、愛されない存在でもないのです。

過去の「たまたま」の出来ごとから「自分」という存在を決めてしまったかもしれません。

そこから脱しようと今まで頑張ってきたかもしれません。
しかし、元々「認められない人間」「愛されない人間」ではなかったのです。
ただただ、そのことに気づいてみてください。

本当に認められていないのか、愛されていないのかと疑ってみてください。
そして、認められるためにやっていることや愛されためにやっていることを辞めてみてください。
辞めてみたときに、そんなことしなくても愛されていたということに気づきます。

何もしなくても、認められる存在で愛される存在だということに気づくのです。

②親のようにはなりたくない

親を反面教師だと思い、親とは違う自分や孤高の自分になろうとして、
中途半端を嫌っている場合、「親のようになる」ことを許してみてください。
今まで避けて突き放して来た親を受け入れてみるということです。

嫌ですよね!?
嫌だと思うし、負けた気がするかもしれません。

無理に許す必要はありません。
許す前に、傷ついた時の気持ちをしっかり感じてみてください。
本当はどうして欲しかったのか、どれほど寂しかったのか自分の気持ちを探してみてください。

もしかしたら、傷ついたときに「やめて」と言えなかった自分に怒っているのかもしれません。
自分を守れなかった自分の弱さに腹が立つのかもしれません。

そんな気持ちをぜひしっかり感じてみてください。
親や自分をしっかり責めてみてください。

ちゃんと責めれば、拗ねや復讐の感情が収まっていきます。
そうしたら、親や自分を許してあげてください。
負けを認めてみてください。

拗ねや復讐・勝負を終わらせることは自分にしかできません。
そして、終わらせる方法は「もう終わらせる」と決めることです。

今まで生きていく為に、拗ねや復讐・勝負のエネルギーが必要だったかもしれません。
しかし、本当はそのバネがなくてもあなたは生きていけるのです。

今まで注いでいたエネルギーを、ぜひ、自分を可愛がる為に使ってみてください。
あの頃にして欲しかったことを今のあなたがしてあげてください。

4.中途半端に含まれる暗示

最後に「中途半端」に含まれる暗示について触れたいと思います。

人の思考の中には無数の「暗示」が含まれています。
「中途半端な奴はダメだ」というのも暗示ですよね。

そして、中途半端を手放すことに抵抗があるのも、そこに「暗示」があるからです。
ですので、中途半端に含まれる暗示を解いてみてください。

暗示を解く上で一番難しいことは、暗示に気づくことです。
ここでは暗示に気づく一番簡単な方法を紹介します。

何かをすること、何かを辞めることに抵抗がある場合、
「それをすると(それをしないと)、どんな怖いことが起こりそうか?」という質問を自分に投げてみてください。
その答えがあなたが当たり前に感じている「暗示」です。

例えば、中途半端な自分のままでいいことにすると「周りから蔑まれそう」と思った場合、
「中途半端だと周りから蔑まされる」という暗示が自分の中にあるということです。
そして、その暗示はただの暗示で事実ではないのです。

事実を正しく言うと、「中途半端だと蔑まれることもあるし、蔑まされないこともある」です。
「中途半端を受け入れて楽に生きると、批判されることもあるし、羨ましがられることもある」です。

暗示に正しさはないのです。
暗示が正しいと思いたい気持ちがあるだけです。
今まで貫いてきた信念があるのです。

しかし、それで生きづらいのであれば、ぜひその信念をポキッと折ってみてください。
案外、その信念ってどうでも良かったりしますよ笑

5.まとめ

今回は、中途半端がなぜ嫌いなのかを説明し、中途半端を受け入れる方法を説明しました。

私も中途半端な自分が嫌で色んなことに挑戦しました。
しかし、そこでは中途半端な自分を再確認するだけでした。

今、中途半端かどうかは大した問題ではないように感じます。
自分がどういう人間か、何でもやり抜ける人間になれるのか、そんなことに時間を使っている暇はないような気がします。
中途半端かどうか確認している間にも、人生の本番は刻一刻と過ぎているからです。

この一瞬一瞬が人生の本番なのです。
そう、楽しまなきゃなって、好きなことをしなきゃなってそう思います。
中途半端でもいいじゃないですか、そんな自分を許してあげてください。

また、精神的に強くなりたいときに必要な3つの考え方も読んでみてください。