自分の考えを持ってないと言われると自立できていないと言われているようで落ち込むことがありますよね。
この記事では、自立、特に精神的な自立について話をしていきます。
自分の人生を自由で幸せなものにするために「自立」とどう向き合っていったらいいのか、また、精神的な自立をどう育んでいくのかについて詳しく説明していきます。
ぜひ、誰の人生でもない自分の人生を生きながら、思う存分楽しんでもらえたらと思います。
1.自立できないというより自立しなくていい
この記事ではどうやったら本当の意味で自立していけるのかについて書いてきますが、まず伝えたいことは「自立しなくていい」ということです。
そもそも「自立したい」「自立しなければいけない」というのは自分の意思ではなく、「自立するべき」という誰かが決めた価値観であり、自分の内側から湧いてくる感情とは異なります。
誰かの価値観に従おうとすることこそ自立と相反するものなので、「自立しなければいけない」という考えがまさに自立とは真逆の行為になっています。
だから、自立しなくていいです。
それは、自立していくために自立しなくていいと言っているわけではなく、自立して誰かの価値観に収まることで自分にオッケーを出すという考え方をしないでもらえたら、という意味です。
その考えをしていると、自分の人生を自分で決められず窮屈な気持ちや息苦しさを感じます。
ぜひ、自立しなくいいことや誰かの価値観に従わなくていいことを覚えておいてもらえたらと思います。
2.自立よりも大切なこと
ちなみに、そもそもこの記事やこのサイトの前提は「楽に幸せになること」にフォーカスしています。
「自立することでみんなと一緒になりそれで楽に幸せになる」という話であれば、どうやったら自立していくことができるのかについて詳しく解説していきますが、世間一般で言う「自立」を目指すことで楽に幸せにはなりません。
先ほど触れたように「自立」とは他人の価値観にただただ自分を押し込める作業だからです。
では、楽に幸せに自分の人生を思いきり楽しむにはどうしたらいいのか。
それは「ありのままの自分」として生きることです。
我々は生まれてすぐの頃は「ありのままの自分」として生きています。
嫌だったら泣き、嬉しかったら喜び、つまらなかったら無表情です。
そして、成長とともに怒られることや否定されることなど悲しい出来事を経験する中で、「こうしたら怒られるからやめよう」「こういう時はこうしなければいけない」とうまく生きるためのルールを習得していきます。
このルールは自己防衛でもあるのですが、ルールの数が多かったりそのルールが強い禁止や抑圧を生むものだと、そのルールによって苦しくなったり悩みになったりするのです。
「ありのままの自分」を捨て「ルール人間」になっているようなイメージです。
そのルールを守ることに重きを置き躍起になっているわけだから、自分の心が満たされず息苦しい思いをすることはイメージしやすいと思います。
「自立しなければ」というのもそのルールの一つですよね。
人はこう生きなければいけないという漠然としたルールが自分の中にあり、その「こう生きなければ」の一つが「自立しなければ」ということです。
だから、自立というルールを守ることでは我々は楽に幸せにはなりません。
「ルールを守れて偉いね」なんて思われたところで、我々の心は満たされていかないんです。
そんなことよりも、ありのままの自分を見つけそんな自分に返っていくことで「自分は自分で良かったんだ」という感覚を心の中に広げていくことの方が大切です。
3.本当の自立とは
そして、それこそがまさに自立(精神的自立)だということです。
「自立しなければ」という他人を軸にした生き方をするのではなく、「自分はどうしていきたいのか」「何を感じ何を我慢しているのか」に耳を傾けそれに従う、自分を基準にした生き方こそが自立です。
誰かの価値観ではなく自分の気持ちに従って決める、自分の人生を自分で舵取りし自分でその責任を取る。
それこそがまさに自立だということです。
しかし、それでいいのかと疑問が湧くかもしれません。
自分の気持ちばかり優先するのは自己中になるのではないか、と。
そんな時は「管轄」という概念を意識してみてください。
管轄とは、その人が自由にしていい範囲のことです。
自分にも自由にしていい範囲があり相手にも自由にしていい範囲がある。
その上で、「相手の管轄に立ち入らないし自分の管轄に立ち入らせない」というのが楽で心穏やかな生き方です。
そう考えた時に、自分の気持ちに従って決めずに我慢して相手を優先することや相手を軸にすることは自分が自由にしていい管轄に相手を踏み込ませているということなんですよね。
「相手」や「常識」、「世の中」を重視する方に傾いている。
このスタンスは単純に生きずらいし、本当の意味で自立しているとは言えません。
では、本当の自立とは何かと言うと、自分の管轄と相手の管轄をしっかりと認めながら自分の管轄の範囲内で自分の気持ちに従っていくということです。
言葉を変えると、自分の自由も相手の自由も認めて自分の気持ちや意思に従って自由に生きていくということです。
自分の自由を犠牲にして相手の価値観に従うことも自立ではないし、相手の自由を無視して自分の価値観を押し付けることや相手に何かを強制して相手が思うように動かないことに腹を立てることは決して自立しているとは言いません。
自分と相手の管轄を明確に区切りながら、自分の管轄の中で自由に充実して生きていいく、それが本当の意味で自立なんだと思います。
この管轄分けについては、オンラインサロンで悩みを解消する部活の一環として動画にまとめたものがあるのでぜひ見てもらえたらと思います。
4.精神的自立ができない理由
最後に、そもそもなぜ精神的な自立ができないのかについて話していこうと思います。
その理由はただ一つかなと思います。
それは、「責任を取りたくないから」ではないでしょうか!?
自分で決めて自分で失敗したら、誰が悪いかというと自分が悪いことになってしまう。
自分のせいで失敗したことになってしまう。
(良いとか悪いとか、誰のせいって概念も持たなくていいんですけどね)
だから、誰かに決めてもらった方が楽なんですよね。
親がこの会社で働きなさいって決めてそれに従ってその会社に入った。
でも、その会社がブラック企業で苦しくて辞めた。
ということであれば、その会社で働きなさいなんて言った親のせいにできるし、もっと言うと自分の人生がうまくいかないのも親のせいにできます。
逆に、この会社で働きなさいと言われた、だけど自分は昔からやりたかったバンド活動をやるために上京した。
でも、全然お金にならず田舎に帰ることにした。
ということであれば、バンドで食べていけるようにならなかった責任は全部自分の元にあるということです。
自由にはそういう責任が付いて回ります。
その責任が自分にあることを回避したいがために自分で決めずに何かに従いたくなるわけです。
人生の舵取りを自分でしていくということは、つまり、その自由と責任を自分が持つということです。
何をするにも自分が決める、そういう自由を持ち、その結果に関してはジタバタ言い訳をせず自分の責任だということです。
そんな人生はものすごく楽しいです。
そして、「責任」というととても重く感じるかもしれませんが、ただただ「自分のせい」だというだけの話です。
「誰の責任だ!?」ってなったら「俺っす!!」って言うだけのことです。
重く感じる必要もないどころか、とても気楽に捉えてください。
「俺が決めましたぁ、テヘペロ(・ω<)」というノリでいいんです。
人生テヘペロ、そんなノリで気楽に責任を取りながら、自分で決め、自立しながらこの世界を楽しんでいってもらえたらと思います。
5.まとめ
今回は、自立できない悩みをどう解消していったらいいのか、精神的自立をどう育んでいったらいいのかについて話をしました。
詰まるところ、自立はしなくていいということです。
「自立しなきゃ」なんて他人の価値観に依存した生き方をしなくていい。
そんなことよりも自分の人生を目いっぱい楽しむことにフォーカスを向けてみてください。
その生き方こそが精神的に自立している状態だということです。
ぜひ、自立という言葉に囚われず楽しい自分の人生を送ってもらえたらと思います。
人生を楽しくしていく観点を、人生に迷ったら立ち止まろう!自分の人生を見つける3つの判断基準に載せているのでこちらも参考にしてみてください。