人の気持ちがわからないけどいっか!自分責めがなくなる世界の捉え直し方

  • 2018年11月30日
  • 2020年5月17日
  • 自信
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自由に振舞っているだけなのに相手を傷つけてしまう。
思ったことを言っただけなのになぜかみんなが怒っている。
空気が読めないとよく言われる。

「あぁ、自分って人の気持ちわからないなぁ」

というわけで今回のテーマは「人の気持ちがわかならない」についてです。
まぁ、でもそれはそうだよなと思います。
違う人間だから他人の気持ちはわからない。
元々の性格も違うし育ってきた環境も違うわけですから。

だから、人の気持ちはわからないし、わからなくていいのではないでしょうか。
逆に、人の気持ちをおもんぱかってばかりいると、
人といるときに波風は立たないかもしれませんが、どんどん自分らしさを失っていきます。
自分が何かわからなくなるし、人といても楽しくなくなるのです。

「人の気持ちがわからなければわからなくていい」
というベースを作ってもらいながら、
どうしたら、そう開き直りこの人生を楽しんでいけるのかについて話をしていきます。

1.しょうがないものはしょうがない

まず、人の気持ちはわからなくていいということについて詳しく書いていきます。

「わからなくていい」というか、そもそも、できないものはできないじゃないですか。
仮に、人の気持ちをわからなければいけないと言ったところで、
それができないのであれば、良いか悪いか以前に「しょうがない」ということです。

この「しょうがない」というのは、
自分は劣っていて人と違う自分を卑下しながら諦めるということではなく、
前向きに自分を認めながら開き直っていくということです。

犬は人の嗅覚の何万倍も優れているらしいです。
人も犬ぐらいの嗅覚を持つべきだと言われても、できないものはできないし、
「嗅覚を持つべき」というのは誰基準で誰が言っているの?という話です。

そんな自分を責めなくていいし、
“自分”以外の何かを正解にして自分にバツを付けることはとても苦しいことです。
そして、とてつもなく意味のないことです。

だから、しょうがないことは「しょうがない」で開き直っていいのです。
ぜひいい意味で開き直ってみてください。

「人の気持ちがわからない」以外にも自分を責める方がいます。
能力がない、仕事ができない、役にたたない、体力がない、人を幸せにできない。
しかし、それができなかったり、自分が持っていないものであったりするならば、
それを何というかというと、「しょうがない」といいます。

ぜひ、そんな自分を許して、しょうがないものはしょうがないと片付けてしまってください。

2.「人の気持ちがわからない」と言う相手の意図

ここで少し視点を変えて「人の気持ちがわからない」と言ってきた相手に目線を向けていきたいと思います。
あなたは、もしかしたら色々な人から「人の気持ちがわからない」と言われ、
自分は人の気持ちがわからないんだと認識したかもしれません。

しかし、相手の気持ちがわからないのは誰でも一緒で、
相手の気持ち通りに言動を選べる人はいません。

その上で、相手はなぜあなたに「人の気持ちがわからない」と言ったのか。
それは、悲しかったり傷ついたりしたからです。

  • 触れてほしくない話をされ劣等感が疼いたり
  • 本当は優しくして欲しかったのにそうされなくて悲しかったり
  • 自分は色々気を使っているのに自由なあなたを見て嫉妬したり

そんな相手の悲しさや痛みがあったんですよね。
そして、相手はその悲しさや痛みとった本当のところを表現することなく、
あなたに対して「空気が読めない」「人の気持ちがわからない」と言ったのです。

そんなものわからないですよね!
そして、わかる必要がないと思います。

これは個人的な意見ですが、その人の”本当のところ”を表現することなく、
相手に「おかしい」「普通は」「空気を読め」というのはコミュニケーションとしてズルいような気がします。

この世界に何か正解があるわけではなく、その人がただ悲しく、痛い思いをしただけです。
だから、悲しいと言ったらいいし、昔の傷を思い出して痛いと言えばいいだけです。
それを言わずに、さも正解があるような言い方はなんかズルいなぁと感じます。

まぁ、要は「あなたは人の気持ちがわからない」という言葉の裏にはそう言った悲しい気持ちや、
心の傷が痛むという感情があるということです。

そして、だからと言って、相手を悲しませないように心の傷が痛まないように言動を選びましょうということではありません。
そんなことは元々不可能なことだし、言動を選べば選ぶほど相手との付き合いがつまらないものになってしまいます。

人が悲しくなったり、心の痛みを感じるとき、元々反応の種をその人が持っています。
あることを自分の欠点だと思っていたり、過去に傷ついた出来事があったり。
その元々ある反応の種を回避すれば相手を悲しい思いにさせずに済むかもしれませんが、
どこに相手の反応の種があるかは、相手によって違い、パッと見ではわかるものではありません。

そして、その反応の種を受け入れてこの世界をもっと生きやすくするのは、
その反応の種を持っている人の仕事であり、その人にしかできないことなのです。

だから、大いに反応の種を刺激していこうではありませんか。
そこに自分の劣等感や昔の古傷、自分責めなどが埋まっていると相手にお知らせしているに過ぎず、
この世界に正解があって、その正解を選べない自分がダメだということではありません。

相手をわざわざ傷つける必要はないですが、
自分が自由に振舞っていて相手が傷つくのはしょうがないということです。
「そんなところに反応の種があったのね、あら失礼!!」くらいのノリでちょうどいいです。

3.自分と社会との関わり

ここまで読んでもらって、
人の気持ちがわからないと感じる自分に対して大らかな気持ちになってきたでしょうか。

本当にどんな自分でも一切責める必要がないんですよね。
そもそも、自分を責めるという行為はこの世界の捉え方を勘違いしているところから生まれます。

この世界で生きる大きな軸として、
「自分はOKか」「社会とどれくらい付き合うか」という二つの軸があるとします。
ここで言う社会とは、常識や他人の意見、親や会社が言うことなどです。

自分を責めて苦しく感じている人は、
社会に適合することが必須で、社会の言う通りにできている自分はOKで、
社会の言う通りにしていない自分やできない自分をNGだと捉えています。

しかし、それでは社会が正解で自分の意思も個性もなく、社会が右向けと言ったら右を向くただの機械です。
楽しくないのも当たり前だし、ずっと社会の言うことを聞き続け苦しいのも当たり前。

この世界の捉え方が苦しいものだと当たり前に苦しくなっていくのです。
だから、世界の捉え方をフラットなものに変えてみてください。

この世界の姿はこうです。
自分はどんな自分でも100でOK。
その上で、社会とどれぐらい付き合うかの度合いをその都度自分で決めていく。

元々、自分はどんな自分でも100でいいのです。
何ができなくても、何をしなくてもどんな自分でもそれでいいということです。

その上で、社会とどれだけ関わるかを決めていったらいいのです。
0~100の間で社会とどれだけ付き合うか、
0だと全裸で走り回ったり店頭にある食べ物を勝手に取って食べてしまうので、
10~100くらいで好きなところを選んだらいいんですよね。

この世界とは、ただそれだけの世界なのです。
社会の言う通りにすることが100で大切なことでそうできない自分はダメなのではなく、
自分はそもそも100でOKでその時の気分で社会と付き合う度合いを決める、
この世界で生きるとは、ただそれだけのことです。

ぜひ、世界の捉え方をフラットなものに変えてみてください。
もし、今、社会が正しいと捉え、その社会の言う通りにできない自分にNGを出しているのであれば、
だいぶ苦しい考え方に洗脳されています。

誰の人生で何のために生きているのか。
他人の人生で社会のために生きているわけではありません。
自分の人生を取り戻してみてくださいね。

4.他人の気持ちがわからないからこそ

今までの話を少しまとめると、自分はどんな自分でもよく、
人の気持ちがわかないのは当たり前で人の気持ちがわからなくていいということでした。

その上で、相手が何を考えていて相手がどんな人なのかを知っていくことは、
とても楽しいことだと思うんですよね。

「私を傷つけた」「私を悲しくさせた」「お前は人の気持ちがわからない人だ」と、
突っぱねて、関係を終わらせてしまうのではなく、
そこから、相手は何が嫌でどんな考えを持っているのかということをすり合わせて、
お互いの心地いい空間を作っていく。

それは、誰とでもできることではないし、人生で数人くらいとしかできないことかなと思いますが。
そうやって、人のことがわからないもの同士、
相手のことを分かろうとして、出来事一つ一つを通して相手のことを知っていく。

そのかけた時間や手間ひまが相手を特別な人にしていきます。
そんなすり合わせができる人と出会えることはとても素敵なことで貴重なことだと感じます。

5.まとめ

今回は、「人の気持ちがわからない」をどう捉えていったら、
幸せなのかについて説明しました。

人の気持ちがわからないのは当たり前だし、
人の気持ちを察しようと気を使えば使うほど、相手とのコミュニケーションがつまらないものになっていきます。

「人の気持ちがわからない」という言葉は、ただ相手が悲しく相手の古傷が疼いただけなので、
その反応の種をどう処理するかは相手に任せて、自分は自由に人と関わっていきましょう。

その上で、何が悲しくて何をどうされると嬉しいのか、
そんなやりとりをしながらすり合わせができる人と一緒の時間を過ごせたら、
とてもハッピーなことだと感じます。

また、この社会の捉え方の捉え直しもしてみてください。
自分は100でOKで、社会とどれぐらい付き合うかをその都度決めるという話です。
当たり前の話なのですが、いつの間にか社会が正解だと思い込んでいることがありますからね。

また、自分の劣等感や欠点との付き合い方について、本記事とは別の角度で
劣等感を解消する方法、欠点との付き合い方にまとめているので参考にしてみてください。