嫌われたくないなら嫌われる勇気を持つ

  • 2016年6月22日
  • 2020年5月17日
  • 人間関係
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あの人に合わせておけば嫌われないで済むかな。
ずっと笑顔でいれば嫌な思いをさせないだろう。
嫌われるぐらいなら人との間に壁を作っておこう。

「嫌われたくない」

この世にいる人は、誰でも嫌われたくないという気持ちを持っているのだと思います。
しかし、嫌われないために自分を押し殺し相手に合わせていると、
とても生き苦しく、また、人間関係が疲れを感じるものとなってしまうのではないでしょうか。

この記事では、「嫌い」という感情の仕組みや、
「嫌われたくない」という気持ちとの付き合い方や、
人間関係を楽にする考え方を説明していきます。

人生の充実を考えたときに、人間関係はとても大きなウェートを占めるものだと思います。
しかし、「良好な人間関係」というカタチだけ整えても、それが人生の充実にはつながりません。

カタチのもっと奥にある本質的な人間関係、ひいては自分との関係について、
考えてもらうきっかけになったら幸いです。

1.「嫌い」の仕組み

「あなたのことが嫌い」と言われたり思われたりすると、さも自分が悪かったように思うのではないでしょうか。
しかし、誰かに嫌われたとしてもあなたは悪くはないのです。

それを理解してもらうために、「嫌い」という感情の仕組みについて説明していきます。

まず、「嫌い」という感情がどういうときに沸くのかについてですが、
「『こうするべき』というルールを犯している人を見たとき」に「嫌い」という感情が湧いてきます。

  • 空気を読むべきと思っている人が空気を読まずに自分の話ばかりする人を見たとき
  • 高圧的なのはダメだと思っている人が高圧的な人を見たとき
  • 弱々しいのはダメだと思っている人がすぐ泣く人を見たとき

そんなときに「嫌い」という感情が湧いてきます。

しかし、このルールはその人固有のルールであり、その多くは、親からしつけとして教わったものなのです。
つまり、表現を変えると小さな子どもが、
「あ!それママがダメだって言ってたんだからねっ!!」と騒いでいるようなものなのです。

自分は禁止されているものを目の前の相手がやっている。
それが許せなくて嫌なのです。
そして、それと同時に、羨ましい気持ちもあります。

  • 自分を認めたいけど、この程度では認めるべきではない
  • 思いっきり楽しみたいけど、無邪気にはしゃいではいけない
  • 自分も大事に守られたいけど、弱い自分ではいけない

その禁止を越えて、自由にやっている人を羨ましいと思い、
「羨ましい」という素直な気持ちを出すことが恥ずかしいので、「嫌い」というダミーの感情で目をそらすのです。

2.ルールは破るためにある

以上が「嫌い」という感情の仕組みです。
親の「こうするべき」に違反していることにザワつき、内心羨ましいと思っているということです。

ですので、相手から嫌われない為に、
「相手の『こうするべき』というルールに合わせなければいけないのです」
・・・という、話ではない!!

そうではなく、相手がそんなルールを破棄すればいいのです。

そもそも「こうするべき」というルールは自分を縛るものです。
自分がしたいと思ってもルールを守るために自制し、
自分がやりたくないと思ってもそういうものだからと我慢する。

「こうするべき」が私たちを不自由にし、充実した人生から遠ざけると言ってもいいかもしれません。

だから、相手の顔色を伺ってあなたが「こうするべき」というルールを増やしている場合ではないのです。
「俺のこと嫌い?だったら、俺と同じようにしてみたらいいじゃん。自由だし楽しいよ」というだけの話なのです。

親はあなたの幸せを願ってあなたに「こうするべき」というルールを教えてくれました。
しかし、そのルール通りにしても幸せにはならないのです。
「自分」という本来の形を変えて、色々なものを手に入れたとしてもそれが幸せにはつながらないのです。

だから、ルールはどんどん捨てていってください。
身につけるのではなく、捨てていく。
すると、「自分は元々『自分』でよかったんだ」という安心感が広がります。

この感覚が一番求めているもので、とても豊かな気持ちなのではないでしょうか。

3.どうしたって嫌われる

前の章で、相手の「こうするべき」に従うのではなく、
相手が「こうするべき」を破棄したらいいという話をしましたが、
相手をコントロールすることは実は不可能だし、早めに諦めてしまった方が幸せです。

相手は変えられないし、変わらなくいいのです。

つまり、どういうことかというと、
「こうするべき」違反をあなたがしたら、あなたは嫌われるということです。

そして、だからといって、どうこうする必要はないということです。

自分を嫌う人は一定数いる。
そして、それはどれだけ嫌われないようにしてもその割合は変わらないのです。
誰からも嫌われないようにしている人を嫌いな人もいるしね。

だから、嫌われることを受け入れてしまってください。
どうしたって、他人すべてのルールをクリアすることなんてできないし、
もしできたとしても、四方八方ガッチガチで息すらできません。

そう、嫌われるんです。
そして、それでもいいし、そんな自分がダメだということではないのです。

ここで、嫌われることを受け入れるからといって、
その嫌われていることに我慢している必要はないことも覚えておいてください。
自分から距離をとってもいいし、自分を嫌いな人をあなたが嫌ってもいいのです。

また、逆に考えると一定数は自分のことを好きなことを覚えておいてくださいね。
そして、大半の人は好きでも嫌いでもない人です。

4.取り繕っていることもわかっていて付き合ってくれている

ここまで、「嫌われる」ことにフォーカスして話をしてきました。
ここで、「嫌われないための行動」について触れたいと思います。

あなたがもし嫌われたくないと相手に話を合わせたり、取り繕ったりしているのであれば、
それは相手を信頼していないことになります。
相手は本当のあなたを受け入れてはくれないだろうという前提で行動しているということです。

はなから「相手は受け入れない」と決め付けているのです。

しかし、その相手はあなたが嫌われないように取り繕っていることも知っているし、
どんなあなたでも受け入れる気持ちで接してくれているのです。
すべてをわかった上で、自分のそばにいてくれているということです。

確かに、本当の自分をさらけ出すことは怖いことです。
否定されたら、「それ本当の自分じゃないから」という言い訳ができず、ただただ傷つくしかありません。

それでも、そんな「本当の自分」を受け入れてくれる人がいることを信じてみてください。
そして、自分の素を出していってみてください。

あなたが不味いと感じたらそれは不味いのです。
あなたが違う意見を持っていたら、私はこう考えると言っていいのです。
あなたが違うことをしたければ、それをしたらいいのです。

あなたがそう思うのだから、「そう」でいいのです。
それを相手に受け入れられそうな形に変える必要はありません。

みんな、本当のあなたが顔を出す日を待っています。
「あなた」待ちなのです。
ヒーローのように今から遅れて登場してみてください。

5.嫌われるに関する勘違い

最後に、「嫌われる」に関する勘違いについて軽く紹介していきます。
ここで紹介するものはすべて勘違いなので、「嫌われる」に対する認識の捉え直しをしてみてください。

5-1.自己価値と結びついていないか

あなたが誰かに嫌われたときや受け入れられなかったとき、
自分の価値がないと感じることはありませんか?

もし、嫌われ受け入れられない自分には、価値がないと感じるのであれば、それは勘違いです。

人は、よく自分の価値を何かで計ろうとします。
それは、能力だったり性格だったり結果だったり人間関係だったりと、様々です。
人それぞれのモノサシを持って自分の価値を計っています。

その一方で、そんなモノサシなんかで自分の価値を計ろうとしない人もいます。
自分の価値を勝手にこのくらいと自由に決めている人たちです。
そこには何の根拠もなく、これくらいと勝手に決めているのです。

どこかに根拠を求めようとすると、その根拠に縛られることになります。
好かれるように頑張ることがやめられず、嫌われることがものすごく怖いのです。

しかし、このモノサシは人それぞれ違うのです。
表現を変えると、勝手にモノサシを持ち出して勝手に自分の価値を決めているということです。
つまり、自分の価値というのは、自分の頭の中で作りあげられた妄想に過ぎないのです。

どうせ妄想なら、幸せな妄想にしてみてください。
根拠などなく、モノサシで計るまでもなく、自分に価値はあるのは当たり前だと「勝手に」決めてしまってください。

そんなことをしてもいいかと思うかもしれませんが、
今だって不確かなモノサシを使って、「勝手に」自分の価値を決めていることに変わりはありませんから。

5-2.○○だと嫌われる

あなたはどういう人が嫌われると考えていますか?
少し考えてみてください。

  • 無愛想な人だと嫌われる
  • 相手と違うことを言うと嫌われる
  • 空気を読めないと嫌われる

これらの法則も勘違いです。
「○○だと××する」という構文は暗示の効果があります。

一度、「○○だと××する」と感じると人はその証拠を集めようとします。
その法則に合致するものに目が行き、その法則に合わないものは無意識に見ないようにするのです。
だから、あなたが当たり前に感じている法則も、根も葉もないものなのだと覚えておいてください。

正しくは、無愛想だと嫌われることもあるし好かれることもある。
相手と違うことを言うと・・・(以下同じ)

ぜひ、その法則は正しくないと疑いに疑ってください。
すると、その法則の例外が目につくようになり、暗示が正しくないことに気づきます。

5-3.自分は嫌われる人

もしかしたら、自分のことを「嫌われる人」だと思っているかもしれません。
これも思い込みであり、勘違いです。

そして、一度自分のことを「嫌われる人」だと決めると、
これも前述したとおり、その証拠を集め「やっぱり」と自分の判断が正しいことを確認しようとするのです。

しかし、あなたは「嫌われる人」ではありません。
「嫌われる人だと思い込んでいる人」です。

嫌われる人という前提で世の中を見渡すと、嫌われた出来ごとに目がつくし、
好きでも嫌いでもないグレーなところも嫌われたと解釈するので、
この「嫌われる人」だという前提も変えてしまってください。

「私、好かれる人」

そう書き換えてしまえばいいのです。
そして、これはそう思い込む必要はなく、あなたが思おうが思うまいが、
「好かれる人」であることに変わりはないので、「そういうもんなんだなぁー」とぼんやり思っていてください。

また、好かれる人は人に好かれるであろう行動はしません。
だって、そんなことをしなくても好かれるのですから。

だから、自分が「好かれる人」であったら、やるであろうことをやってみてください。
「嫌われる人」でなかったか、やらないであろうことを辞めてみてください。

勇気がいるかもしれませんが、
この行動を変えると「あれ、今までなんで頑張って好かれようとしていたんだっけ?」と呆気にとられます。
そんなことしなくてもよかったことを目の当たりにしたとき、全てが妄想でいらない頑張りをしていたことに気づくのです。

6.まとめ

今回は、「嫌われたくない」をテーマに「嫌い」の仕組みや「嫌い」に対する認識の捉え直しについて説明しました。
また、最後には、「嫌い」にまつわる勘違いを紹介しました。

我々はこの世界を客観的に捉えているようで、思い込みや妄想の中で生きています。
どうせ妄想するなら、幸せな妄想をしてもらえたらと思います。

何をやったって自分を嫌う人はいるんだから、あきらめてみてください。
そして、素の自分を出してみてください。

素の自分を出すということは、素の自分を認めるということです。
あなたさえ、自分を嫌わずに認めていればこの世界は平和です。

嫌われることは気分のいいものではありませんが、ただの価値観の相違がそこにあるだけなのです。
ぜひ、自分を認めて可愛がってあげてください。
そのために、そのまんまの自分を勇気を出して少しずつ表現してみてください。

みんな、あなたの登場を心待ちにしていると思います。
軽いノリでヒーロー見参してみてください。

たま、人間関係がうまくいかない理由と人間関係が楽になるシンプルな考え方に、
人間関係が楽になるエッセンスを載せてあるので、あわせて読んでみてくださいね。