苦しさのループから抜ける!楽に生きるために捨てる3つのこと

  • 2020年4月28日
  • 2020年5月17日
  • 幸せ
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日々、仕事や人間関係で苦しさを感じる。
ずっと気持ちが晴れず憂鬱な毎日を過ごしている。
今までずっと生きづらくてこれからも生きづらいのは耐えられない。

「楽に生きるにはどうしたらいいんだろう」

今回は「楽に生きる」にはというテーマで話をしていきます。
生きていれば苦しく感じることもあると思います。
それがずっと続くと人生そんなものかと絶望するかもしれません。

しかし、楽に生きることは難しいことではないのです。
この記事ではそもそもなぜ私たちは生きるのことが苦しいのかという説明をした後に楽に満たされる生き方に切り替える方法を紹介していきます。

1.生きることが苦しいのは他人軸だから

まず、そもそもなぜ私たちは生きることが苦しいと感じるのかについて説明します。
一言で言うと、他人の目を気にして他人軸になっているからです。

本来、私たちががシンプルにやりたいと思っていることはそこまで多くありません。
生理的欲求や楽しそうという好奇心ぐらいでしょうか。
赤ちゃんがそうですよね。

しかし、やりたいことは多くない一方で「やらなきゃいけないこと」はとても多いです。
この「やらなきゃいけないこと」の多さが私たちを忙しくさせ、焦らせ、日々を大変なものに変えていきます

  • 仕事・家事・育児などの日々のやること
  • 愛想笑いしとかなきゃ、嫌われたかなという気苦労
  • 意見を合わせなきゃという労力

そして、これらの「やらなきゃいけないこと」を生んでいる大元は「他人からどう見られるか」という他人軸になっている、ということにあります。

他人軸とは上記の通り、「人からどう見られるか」という視点ですがそれだけではありません。
「認められたい」「愛されたい」という欲求や人を嫌な気分にさせて罪悪感を抱きたくない、自分の不用意な言動によって劣等感を抱きたくないなど、私たちは様々な角度から「本来の自分」として生きるのではなく他人を中心にして生きています。
これが苦しさや悩みの正体です。

よく全ての悩みは人間関係から生まれると言いますが、悩みや苦しさというのはそれほど対人から派生しているということです。

2.自分軸で生きるとは

ですので、人との間で暮らしながら他人軸の生き方をやめる方向に切り替えていけば私たちは楽に生きていけます。
他人軸をやめるとはつまり自分軸で生きるということです。
「人からどう見られるか」「人から何かをもらうには」という視点ではなく、「自分はどうしたいのか」をいつも自分の行動の基準にしていきます

  • やりたくないと思ったらやらない
  • 嫌なことを嫌だという
  • つまらないと思ったらその場から離れる

そういった自分の気持ちを中心に行動していくということです。
すると、今までやってきたほとんどのことはやらなくていいと分かるし、他人からどう見られるかなど他人からのものは自分にとって必要ないということが分かるのです。

逆に、他人軸で生きている時は自分の人生なのに他人のウエイトが大きいということです。
そんなに他人に良く思われなくてもいいし、そんなに他人に認めてもらう必要はありません。

自分軸で生きると、認めてもらえる嬉しさや安心感、自信、心の平穏さは自家発電できることに気づきます。
それらは決して他人からもらうものではないんですよね。

3.楽に生きるために一瞬だけ頑張る

上記の説明の通り、自分軸で生きることができれば「やらなきゃいけないこと」は極端に減り、本当の安心感や自信、平穏さを手に入れることができます。
きっと誰もが望む「楽に生きる」ということでしょう。

しかし、今まで他人軸で生きてきたものを自分軸に変える瞬間だけ頑張らなくてはいけません
楽になるためには基本的に「頑張らない」という方向性が正解なのですが、何かを変える時に必要な勇気だけは頑張って出さないといけないんですよね。
楽に生きるために読んでもらっているのに、また頑張れなんて恐縮ですが人生でこの時期だけ一瞬頑張ればいいので、ここだけはぜひ頑張ってくださいね。

では、楽に生きる上でどんな勇気を出す、という頑張りをしなければならないのか説明してきます。

3-1.他人に求めていたものを諦める頑張り

最初の頑張りは、今まで他人から求めていたものを諦める頑張りです。
今まで他人軸で頑張っていたのは、その他人から何かをもらいたかったからではないでしょうか。

承認だったり愛情だったり、受け入れてもらうことによる安心や居場所、自信など、私たちは様々なものを他人からもらおうとしています。
「その他人軸の生き方をすることによって欲しかったものを諦める」ということです。
すっぱりもういいやと諦めてしまってください。

その時の注意点なのですが、諦めると言っても拗ねるということとは違います。
手に入らない葡萄をどうせあの葡萄は酸っぱいと拗ねて諦めるのではなく、もう他人から承認や愛情、安心や居場所をもらうことはやめようと自分で決めるという感じです。

その他人に求めていたものは実は他人からはもらえません。
他人から認められても愛されても、安心や自信になるは一瞬だけですぐにまた次の安心や自信を追い求めます。

そうではなく、その承認・愛情、安心や居場所を自分から諦め、自分軸で生きることによって初めて認められている感覚、愛されている実感、安心や自分の居場所を感じることができます
見方を変えると、誰があなたのことを認めていなくて愛していないかというとあなた自身があなたのことを認めておらず愛していないということです。

自分からの一票がもらえないから他人からの何万・何億という票が必要になります。
このことに気づくか気づかないかで世界の生きやすさや満たされ感は圧倒的に違ってきます。
ですので、一回スパッと他人からそれらをもらうことを諦めてみてください。

3-2.自己防衛を捨てる頑張り

次の頑張りは自己防衛を捨てるという頑張りです。
他人中心で生きる目的として、自分を守りたいという欲求があると思います。

他人に嫌な気持ちをさせず他人の価値観の内側にいたら他人から責められないと考えていたり否定されないと思っていたりするから他人に合わせるという言動を取りたくなります。
自分を守りたいという自己防衛ですね。
この自己防衛も捨てていきます。
ノーガード、という感じです。

そもそも私たちは何をしようがしなかろうが、何を言おうが言わなかろうが自由です。
その圧倒的な自由の中で「こうしなければいけない」という制限を自分にかけて生きています。
自由な人を見て責めたり否定されたりする人は、自分で自分の自由に制限をかけて息苦しくなっているくせにその制限をかけていない人をずるいと感じて責めたり否定したりするわけです。
(本人はずるいと明確に感じているわけではなく嫌な気持ちがするとか「あの人おかしい」という感じですが)

相手が自分のことを責めてくるのは自分が悪いわけではなくそういう仕組みで責めているということです。
表現を変えると八つ当たりみたいな感じです。
そんな八つ当たりをしてくる人と付き合わなくていいですよね。
その制限された自由が狭いと感じるのであれば、「あなたも自分の自由を広げたらいい」というだけの話です。

また、もし人から責められてものすごく落ち込むという場合は、その責められたポイントを自分が同じように自分に責めているということです。
例えば、あなたが女性だとして「何で女なんだ」と責められても落ち込むことはないのではないでしょうか。
「女だからしょうがないし、あんただって女じゃねーか」と。

しかし、例えば昔親から「あんたが男の子だったらねぇ」と言われて傷ついていた場合、他人からの「何で女なんだ」と意味が分からない言葉もすごく落ち込むということです。
ですので、他人から責められることや否定されることがひどく怖い場合は自分が自分を責めている場合がほとんどです。

もし、心当たりがある場合は自分責めについてまとめた「自責の念にかられる人生をやめる3つの方法」記事を読んでみてください。

3-3.自分だけ楽をする罪悪感を捨てる頑張り

最後は罪悪感を捨てる頑張りです。
罪悪感を抱きたくないために自分の気持ちではなく他人軸になっていることも多いです。

では、罪悪感を捨てるにはどうしたらいいかという話なのですが、まず「罪悪感はいらない」ということを覚えておいてください。
先ほども触れた通り我々は何をしようと自由です。
(でも刑法に触れないくらい留めておきましょうね笑)

その自由の中で私たちは自分が一番よいと思うものを選択して生きています
例えば、楽に生きる人もいるし苦しい思いをしながら頑張って生きている人もいますよね。
そして、苦しく生きている人は楽に生きている人を見てすごく嫌な気持ちになるかもしれませんが、それは苦しく生きるという選択をその人が自分でしているということです。

この世界は全てのことにメリットとデメリットがあります。
苦しく生きるメリットとは、自分が一生懸命生きている肯定感を味わえたり頑張ることで自己防衛できたり楽に生きる罪悪感を味合わなくて済むといったメリットがあるし、自分を変える怖さを味合わなくて済みます。
そこに何らかのメリットがあるからその人はその場にいるわけです。

これは全ての人に当てはまります。
心理カウンセラーという職業上、人の相談を聞く中ですごい環境にいるなと感じることもあるのですが、どんな環境にもメリットがありそのメリットを享受していたいからどんなに辛くてもその人はそこにいるわけです。

だから、「自分だけ楽になる」ということろに罪悪感を抱く必要はありません。
楽な生き方にも大きなメリットがけれど、他人からずるいと思われたり嫉妬されたりすることもあります。

そんなメリットとデメリットの両方がある中で、自分はどこが心地いいかというところを決めるだけです。
そして、それは想像ではわかりません。
一回楽に生きてみる、その上で嫌なら頑張りながら生きたらいいという話です。
しかし、一回、楽で自由で満たされる世界に来た人で苦しみの世界に戻りたいと思った人は一人もいないということを付け加えておきましょう。

罪悪感については、幸せへの足かせとなる罪悪感の外し方に詳しく書いてあるので参考にしてみてください。

4.楽に生きることは流されて生きることではない

というわけで、ここまでで自分軸の生き方に変える上でちょっとだけ頑張ってもらうという話をしました。
楽に生きることも楽じゃありませんね笑
しかし、頑張って勇気を出すのは一瞬だけでその後はとても楽で自由な世界が広がっているので楽しみにしていてください。

そして、楽に生きるとは「何でもいいや」と流されて生きたり「しょうがない」と諦めながら生きることとは違います。
他人中心の生き方から自分中心の生き方に変えていくということです。
「他人や周囲に流されない」と言い換えることができます。

だから、何かワクワクしたらそれをやるしやってみたいことがあるならやってみたらいいです。
しかし、それが面白くないと思ったら続かない自分にダメ出しをするのではなく辞める。
疲れたり気分が乗らなかったりしたら休むということです。

他人に流されず自分の気持ちに乗っかって生きていってください。
それが、ただの自堕落で充実感もない「楽に生きる」ではなく、充実感と手ごたえを感じながらの「楽に生きる」ということです

5.まとめ

今回は「楽に生きる」についてまとめました。
私たちは、他人の目を気にして他人軸で生きることによって苦しさや辛さを抱えています。
この生き方を自分の気持ちに従うという自分軸に切り替えていくことによって、苦しいことや辛いことが削ぎ落ちて充実感や満たされた気持ちが残ります。

その切り替えのタイミングだけ頑張りが必要なのですが、その一瞬の勇気だけ頑張って出してもらえたらと思います。
それでは、ぜひ楽に楽しく満たされた時間をこれから過ごしてもらえたらと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

楽になりたい!楽に生きるための3つのアプローチには楽に生きる上でのブレーキを深層心理まで深掘りながら解説しています。
ぜひ読んでみてくださいね。