不登校は甘えなのか!学校に行きたくないなら行かなくていい

  • 2019年11月23日
  • 2020年5月17日
  • 自信
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学校に馴染めないし面白くない。
嫌がらせされたりして学校に行くのが苦しい。
でも、周りに迷惑かけるから行かなきゃと思う気持ちがある。

学校に行きたくないなぁ。

今回は「学校に行きたくない」というテーマで話していきます。
本当は不登校で家にいられたら一番いいんだけどそれは甘えかもしれないし。
でも、実際に学校には行きたくない。

そんな葛藤やモヤモヤした気持ちがスッキリして、自分の方向性が一本決まります
今、目の前の問題は「学校」だと思いますが、人生を通して何かに迷った時の考え方は一緒です。
それが仕事でも人間関係でも家庭でも子育てでも。

ぜひ、このタイミングで人生を通して一生使える考え方をインストールしてしまってください。
「学校」という目の前の悩ましい問題が消え、スッキリした気持ちで毎日を過ごしてもらえると思います。

1.価値観の押し付け

まず、知っておいて欲しいのがこの世界に「何かをしなければいけない」ということはないということです。
周りの人はあれこれ言うと思います。

  • 学校に行きなさい
  • 周りに優しくしなさい
  • 前向きでいなさい

「こうしなさい」と言われてきた言葉は、それこそ10や20でないはずです。
しかし、なぜそうしなければいけないかというとそこに明確な理由はありません。

「そういうものだから」「学生なんだから学校にいくのは当然だ」「そんなことでは将来困る」
誰も納得の行く答えを持っていない。
つまり、そうしなけばいけない理由なんてものは存在しないということです。

その上で、周りの大人は言います。
「こうしなさい」「こうすべきだ」と。

その言葉の多くは、自分の価値観の範囲中に大事な子供がいると安心だからです
自分は学校に行って会社で働いて、今普通に暮らせている。
逆に、学校に行かなかったら、会社で働かなかったら普通に暮らせない”可能性”や経験したことがない”未知数”が生まれます。

その可能性や未知数という不安を感じたくないから「こうしなさい」「こうすべきだ」という言葉が使われます。
人は「こうすべきだ」「こうしなさい」と言って大事な人を自分の価値観に従わせようとするのです。

2.学校に行かなくてもいい

つまり、どの言葉もその人の安心のためなので、学校に行かなきゃいけないなんて理由はありません。
そして、その周りが求める安心をあなたが提供する必要はありません
自分が生きているのは、誰かを安心させるためでも誰かの役に立つためでもないからです

自分の人生なんだから自分の自由にしたらいいということです。
この自由があることをまず知ってほしいなと思います。

「学校に行きたくなければ行かなくていい」
なぜならそれは自分が自由に選んでいいことだからです。

3.いい人をやめるという宿題をいつするか

自由という観点で言うと、周りが求めるから頑張るという生き方も自由です。
しかし、それは苦しい生き方です。

学校くらい我慢すればいいと思うかもしれませんが、次に仕事が待っています。
仕事が始まり結婚したら家庭を持ち、子供も生まれるかもしれません。
親の介護、自分と家族の老後の心配、自分が死んだあと子供は大丈夫なのか。

一生、「こうしなければならない」「こうした方がいい」という出来事は続きます。
その「こうしなければならない」にずっと自分を付き合わせいるのは苦しいことです

それよりも大事なことは、周りの人の声や常識、「こうしなさい」という言葉がありながら、それらと距離を置きながら自分が安心できて楽しい状況を作り出せるかということです。
私は心理カウンセラーという職業上、老若男女様々な方の相談を受けますが、相談に来られる方の共通点は「いい人」だということです。
常識的で周りの意見をよく聞き、頑張り屋さんです。
個人的に共感できる一方で、自分の心の声を無視し続けてきたと表現することもできます。

自分の気持ちを無視して周りに合わせてきた結果、苦しくて何をどうしていいかわからなくなって立ち往生しているという感じです。
だから、自分の気持ちを取り戻してもらって勇気を持ってその気持ちに従うアクションをしてもらうことで、自分は自分でよかったことに気づき、周りの常識を跳ね除けながらたくましくそして楽しく毎日を過ごしていくことができます。

一回、常識や周りの声を聞くという「いい人」をやってみてもいいのですが、結果そのいい人をやめることが幸せだと気づくので、今の段階で自分の気持ちに従ってもらえたらスムーズなのかなと思います。

4.不登校な自分にレッテルを貼らない

また、自分の人生をより幸せにしていくための話として、自分にレッテルを貼らないでもらえたらと思います
例えば、学校に馴染めなくて学校に行かなかったとする。
その時に、「周りに馴染めない自分なんだ」「自分は友達から好かれない存在なんだ」「不登校をした自分は甘えた人間だ」と自分のことを勝手に決めつけない方が後々幸せです。

自分のことをこういう人だとレッテルを貼ると、そのレッテルを無意識に確認しようとしたり劣等感からレッテルを剥がそうと努力したりします。
馴染めるようにコミュニケーション能力を磨き周りに好かれるようにいい人になるという具合です。

しかし、目標とした場所にたどり着けなかったら克服できない劣等感を抱えることになり、目標までたどり着けたら今度は本来の馴染めない自分を隠しながら周りの目に怯えながら生活することになります。
だから、自分にわざわざレッテルを貼って劣等感という苦しみの種を抱えなくていいということです。

なぜ自分がクラスで馴染めないのか、なぜ勉強についていけないのか、それはたまたまです。
たまたま気の合う人がクラスにいなかっただけ、たまたま勉強を面白くわかりやすく教えてくれる人がいなかっただけ。
いじめなんかもそうですよね、自分に原因があるわけではなくたまたまという偶然です。

この世には自分と似たような経験をしているけど、それを悩みとして抱えてない人がいます
昔馴染めず学校に行かなかったけどそれを何も気にしていない人です。
その人は強靭なメンタルがあって苦難を何でも跳ね除けられるというわけではなく、自分はこういう人だとレッテルと貼らなかっただけなのです。

ぜひ、自分を「ダメな自分」みたいに決めつけないでくださいね。
誰かの尺度や作られた社会に合わせられるかどうかであなたの何が決まるわけではありません。
「自分は自分のままでいい」「何がどうってわけじゃないけど自分は素晴らしい」それでいいのです

そういう楽しいレッテルを根拠なく自分に貼り付けてしまってくださいね。

5.まとめ

今回は「学校に行きたくない」をテーマに記事をまとめました。
学校に行くか行かないかを含め、この世界に「こうしなければいけない」という絶対のルールはありません。
誰かが安心したいから人に強要したい。

それがこの世界を大きく動かしていたりします。
「こうしなければいけない」というルールがないのだからそれに背いた自分がダメだという話も出てこないし、自分の選択は甘えなのかもしれないと自分に無理に我慢させる必要はないです

そんな話を頭の片隅に置きながら、自分がどうしていくかを自由に選んでみてください。

また、将来の話として周りの意見との付き合い方、そして、自分にレッテルを貼らない話も覚えておいてください。
周りの言葉を鵜呑みにして悩む、自分にレッテルを貼って劣等感の克服に走る。
そんな経験も長い人生の中でアリかもしれません。

しかし、その経験が長すぎると今度誰とも波風を立てないことが正義になり、劣等感を抱かないことが優先になり相手と心を通わせるコミュニケーションをしなくなります。
誰に対しても鎧を着ている感じですね。
それが当たり前になりそれ以外のことを疑問に思わなくなります。

だから、覚えておくだけ覚えておいてください。
「周りの意見とは」「たまたまの出来事なのに自分のことどうレッテル貼りしたのか」

というわけで、学校に行きたくなければ行かなくていいという話でした。
学校に行かないのであれば何しましょうね。
ぜひ、楽しいことをしてもらえたらと思います。

また、ちゃんとできない自分でもいい!ちゃんとの呪いから抜け出す方法に「ちゃんとしなければ」という縛りを振りほどき自由に心が軽くなる話をまとめているので参考にしてください。