頼りにされていたのに、結果を出せなかった自分が情けない。
頼まれたことはなんとしてもやり抜かなければ。
日々感じるプレッシャーに押しつぶされそう。
「期待に応えられない」
他人の期待に応えられない自分を責めたり、
「期待」というプレッシャーを常に感じることはとても苦しいことだと思います。
この記事では、期待に応えられないという自分責めのメカニズムを解説し、
自分責めを終わらせ、「期待」というプレッシャーを軽くする考え方を説明します。
そもそも、「期待」とは他人が自分にするものです。
その期待に振り回されるということは、自分の人生を他人に振り回されているということです。
ぜひ、自分の人生の主導権は自分が握ってください。
そのきっかけになる記事になっているので、ぜひじっくり読んでみてください。
1.期待には応えなくていい
まず、考え方として、「他人の期待には応えなくていい」ということを覚えておいてください。
相手の期待に合わせて自分を変えていく必要などないということです。
そのままの自分で相手に合わせてもらってください。
「頼まれる」「任される」
というと、無意識に「相手の期待通りに」と考えるかもしれません。
しかし、自分は自分でいていいわけです。
そして、その結果が相手の期待通りでなければ、次からは頼まれないというだけのことです。
相手軸で考えるのではなく、自分軸でやってみてください。
すると、変な期待はされなくなり、自分が自分でいて勝手に周りの期待に応える状況になります。
ぜひ、「他人の期待には応えなくていい」ということを分かっておいてください。
2.「期待」に張り付いているもの
「期待」とは「他人が他人にこうしてほしいと望むこと」です。
ただ他人に対して望む気持ち、それが期待なのです。
しかし、私たちはその「期待」に意味を貼り付けます。
ただの「期待」を色眼鏡で見ています。
以下の言葉を実際に口に出して言ってみてください。
- 私はいつもがっかりされる
- 期待に応えられなくてごめんなさい
- 期待に応えられない自分には価値がない
もし、心がざわざわしたり、言いにくかったり、ドキっとしたりするのであれば、
そう思っているのかもしれません。
ただの「期待」に、
「期待に応えられない自分」や、
「期待に応えられなかった罪悪感」
「自己価値の高低」が張り付いているということです。
この「期待」に張り付くものが強ければ強い程、多ければ多い程、「期待」に振り回されていきます。
次の章で、この期待に張り付いているものを取り除いていきます。
3.期待に張り付いているものを取り除く
上記で説明した「期待に応えられない自分」「期待に応えられなかった罪悪感」「自己価値の高低」を個別に説明していく前に、 どれにも共通することをまず記載していこうと思います。
どのパターンにも共通することは、まず「一回自分を責めてみる」ということです。
期待に応えられずに責めたい自分がいる一方で、自分を責めることを回避していると、次に進むことができません。
ですので、一回自分を責めきってみてください。
そして、ガッカリした相手の顔を見たときや「何でできないの?」と言われたときに、
あなたが感じた悲しい気持ち、心が傷ついた痛みを十分に感じてください。
自分が当時の痛みを理解してあげてください。
本当は笑って欲しかった、本当は褒めて欲しかった。
でも、ガッカリされたり否定されて、傷ついたと思います。
その時にものすごく落ち込んだと思います。
それを今のあなたがわかって、当時の感情を受け入れてあげてください。
それでは、「期待」に張り付いているものを個別に切り離していきます。
3-1.期待に応えられない自分
過去の傷ついた出来ごとから、「自分=期待に応えられない人」という図式が成り立っているのかもしれません。
「ありのままの自分では期待に応えられない」という思い込みがあるのではないでしょうか?
そして、この思い込みと当時の悲しさを再確認するために、期待に応えられない状況を無意識に探しにいっているのかもしれません。
この「期待に応えられない人」という思い込み(前提)は勘違いです。
期待に応えられることもあるし、期待に応えられないこともあるのです。
しかし、期待に応えられない「前提」や期待に応えられない「負い目」から、
期待に応えられていない部分だけにフォーカスしているのです。
この状態では、期待に応えられている部分に目が行きません。
だから、「期待に応えられているところもあるのかも」と自分の前提を疑ってみてください。
そして、期待に応えようが応えられなかろうがどっちでもいいのだと自分に語りかけてあげてください。
すると、周りはそんなに自分に対して高い期待をしていなかったことがわかります。
そして、期待いかんに関わらず、ずっと認めてずっと受け入れられてきたことに気づきます。
ガッカリされたことはあるかもしれませんが、ガッカリな人ではありません。
期待に応えれていたのかも、すでに認められ受け入れられてきたのかもと疑ってみてください。
3-2.期待に応えられなかった罪悪感
期待に応えられなかったことに罪悪感を持っていると、自分を責めたいと無意識に感じます。
それがどうしようもないことでも、自分のせいではなくても、
「私のせいだ」「もっとやりようがあった」「何でいつもこうなんだろう」と自分を責めるのです。
しかし、元々、期待に応えられなかったことに罪はありません。
親の「こうしなさい」や「こんな子になってね」という期待を叶えなくても、それは罪ではないのです。
自分に罪はなかったことに気づいてみてください。
「あぁ、私には罪はなかったんだ」と、自分自身に語りかけてみてください。
また、期待に応えられなかった自分を許してください。
他の誰かから許しをもらうのではなく、何かの条件をクリアしたら許されるのではなく、
自分が今この瞬間に自分を許すということです。
元々、自分が勝手に罪の意識を感じているだけなので、
勝手に自分を許してもいいわけです。
ぜひ、自分には罪がなかったことに気づいてみてください。
また、もう自分を許してあげてください。
両親の期待は、「あなたに何かをしてほしい」や「あなたにどうなってほしい」ということではありません。
ただ、あなたに「幸せになってほしい」ということだけなのです。
だから、自分勝手に自分に都合よく、ただ幸せになればそれでいいのです。
3-3.自己価値の高低
「期待に応えること」と自己価値が連動していると、「期待に応えるか否か」がとても大事なことになってしまいます。
それは、私たちが命の次に大事だと思っているのは自己価値だからです。
しかし、私たちの価値は、誰かの期待に応えることや他人の評価で上下動するものではありません。
言い方を変えると、自分の価値が他人なんかで変わらないということです。
まずは、「人の期待に応えることと自分の価値は一切関係ないことなのか」とぼんやり捉えておいてください。
自分の価値は他人では決まりません。
自分の価値は自分が決めることです。
そして、自己価値を決める際に、価値を計る”モノサシ”を使わなくていいのです。
自分の価値は”ココ”と自分で決めるだけでいいのです。
詳しくは割愛しますが、
期待に応えることや他人の評価というモノサシで自分の価値を計らないでください。
それと自分の価値とは一切関係のないことです。
ぜひ、そのことを何度も何度も自分に刷り込ませてみてください。
腑に落ちてきたら、他人の期待が「期待」以上の何者でもなく、ただの「期待」だということがわかります。
4.ハードルは越えるものではなく、くぐるもの
人の期待にプレッシャーを感じるとき、実は自分の自由の枠を広げるチャンスでもあります。
プレッシャーを感じるということは、人の期待というハードルがありそれを超えなければと思っているということです。
ハードルを越えれば越えるほど、そのハードルはどんどん高くなり自分の首がしまっていきます。
プレッシャーを感じた時に、以下の言葉を思い出してください。
「ハードルは越えるものではなく、くぐるもの」
ハードルは越えるのではなく、くぐるのです。
「高いハードルほどくぐりやすい」のです。
ぜひ、人の期待の下を行ってみてください。
すると、今まで自分の中で期待されていた水準が、実はそれほど高くなかったことに気づきます。
自分が勝手にハードルを設定していただけなのです。
大丈夫、周りはあなたにそれほど期待していませんから笑
ぜひ、勇気を出してハードルをくぐり、もっと気楽でよかったことに気づいてみてください。
5.まとめ
今回は、「期待」について、自分責めをやめる方法と、
「期待」というプレッシャーを軽くする考え方を紹介しました。
実は、自分の頭の中だけで組み立てられたロジックがあり、それに縛られているだけだったりします。
もっと自由で、もっと許されていて、周りはもっと優しい。
思い込みの解除と実際の行動で、体験としてそのことに気づきます。
ぜひ、開き直って自分の考えが思い込みなんだと割り切ってみてください。
そして、実際に勇気をもってガッカリされてみてください。
その先に、もっと自由な世界が広がっています。
ダメ人間な自分を責める辛さを解消する方法にダメな自分の受け入れ方が書いてあるので、
あわせて読んでみてください。