「無難だねぇ」なんて言われると無難な自分がダメなような気がしてそんな自分を変えなければと感じ焦るかもしれません。
この記事では「無難」をテーマにどう生きていったら人生が充実していくのかについてまとめます。
先に結論を言ってしまうと、別に無難であろうがなかろうがどんな自分でもそれでいいんですよね。
逆に、誰かから言われた言葉によって自分を変えようと思うと人生に軸がなく不必要なとこで悩んだり時間や労力をかける結果になってしまいます。
ぜひ、本文を参考に「無難」というテーマについて自分の軸を見つけてもらえたらと思います。
1.無難でも問題ない
人生や自分について色々悩む時期だと、誰かに言われた一言が気になったり自分を変えなければいけないのかという気持ちになったりします。
しかし、別に誰かが言うような人にならなくていいし、どう生きたらいいかどういう性格がいいかという正解もありません。
だから、無難であろうが破天荒であろうがどちらでもいいんですよね。
そこに何の問題もありません。
基本的にこの世界に問題はないんですよね。
その何も問題がないところに「あれは問題だ」「あれは間違っている」と『問題視』する人がいるだけで、何も問題なんてありません。
ぜひ、この視点は世の中を見渡すときに役に立つ視点なので覚えておいてください。
2.無難を目的にしない
ただ、無難を目的にしないということも覚えておいて欲しいなと思います。
そう、無難でもいいんだけど無難を目的に自分の行動を全て決めてしまうと、人生がとても無味乾燥なものになっていきます。
無難とは可もなく不可もなくであり、要は「普通」ということですよね。
その普通の基準は誰にあるかというと、自分ではなく周りにあるということです。
「他人軸」なんて表現することもありますが、この何かを決める基準が他人にあると自分の人生の満足度を下げます。
自分で選んでいるわけではなく、すべてが他人によって決められているわけですからね。
そして、しばらく無難を目的にして生きていて、ある時、このまま死ぬのは嫌だと自分の人生の舵を切ろうと思っても今までの無難癖があるから、その勇気を出すことにとても抵抗が生まれます。
だから、ほとんどのことは無難でいいと思うんです。
というか、私はほとんどのことに興味がないため、ほとんどのことは何でもいいです。
ただ、自分がやってみたかったり興味がわいたりしたことは誰がなんと言おうとやるし、自分がアドバイスを聞きたいと思うまで周りのアドバイスも聞きません。
そうやって自分が拘りたいところだけ拘っていったら、人生がとても充実するものになっていきます。
3.自分のやりたいことがどこにあるか
なので、もし「充実」や自分の人生に拘りたかったらそこは周りに合わせず拘っていったらいいと思うんですよね。
じゃあ、どうしたら充実する人生や自分の人生のこだわりを見つけられるかというと、それは気になったことを片っ端からやっていくしかないんじゃないかなと思います。
そして、いらないかもと思ったものをどんどん捨てる作業をしていいたらシンプルに自分の大事なものが見えていきます。
私はこのやり方でしか自分の好きなことや自分自身というものが分かりませんでした。
自分の好きなことが明確になっていてそれに一直線で進める人がいますが、私は基本的にやりたいことはないと思ってたのです。
具体的なやりたいものというものはなかったのですが、「認められたい」という劣等感からの欲求があったので認められるだろう方向性には進んでいました。
そして、ある時どこまでやっても認められている感覚にはならず、もう認められることを捨ててみようと思って捨ててみたところ、他人に認められる必要はなく自分で自分のことを認めればいいんだということに気づいたのです。
そこから、認められることにあれほど執着していたけど認められることは私にとってどうでもいいことだと分かりました。
そこから捨てることによってわかることがあると気づき、今までやってきた色んなことを辞めました。
すると、ほとんどがいらないことだと気づき、私がやりたいことは「試行錯誤」や「これをやったらどうなるのか」、そして、それを通してこの世界の形を知っていくということに一番興味があったんですよね。
自分を知るためにかなり壮大な冒険をしましたが、この過程が私には必要だったのだと思います。
気になることをやって探求し、その後に捨てる。
それによって、『自分にとって』大事なものが見えてくると思います。
(そんな経験をしなくてもわかる人はそれでいいです)
そして、その本当に自分が大事だなと思うことに執着していったらいいですよね。
それ以外のことは自分にとってどうでもいいことなので、無難を選んでもいいし自分のパワーを使わない付き合い方をすればいいでしょう。
4.無難に執着する理由
と、ここまでやりたいことがあるならやったらいいと話してきましたが、そうは言ってももなぜか無難なところに落ち着いてしまうということもあると思います。
この章では、その心理について深掘っていこうと思います。
4-1.自分を諦めている
無難を選びたくなる理由は2つあると思っていて、その一つは「自分に対して期待を持たず諦めているから」です。
「どうせ自分はできない」と諦めていると何をやろうかというより、どうせできないんだから無難なところと選びたくなります。
私はよく「熱量がない」と表現するのですが、それはアツく生きろということではなく、モチベーションの根源みたいなものがないような感じです。
ただ、この記事をここまで読んでくれているあなたは熱量があるので大丈夫です。
「自分はこんなもんだ」「自分はこの程度だと」少し信じてしまっているだけです。
この「自分はこの程度だ」というのは完全に思い込みになります。
昔、やろうと思ったことがうまくいかなかったり周りに何か言われたりという経験を何度かすると人は「自分はこんなもんだ」と思います。
心理学の言葉で一般化と言われます。
しかし、その経験がすべてじゃないんですよね。
何かがうまくいったことはあるし、できることも多いです。
なので、「自分を諦めている」という言葉にピーンと来た方は「自分はこんなもんじゃないかも」と疑ってみることから始めてください。
「自分はこんなもんだ」と決めつけて周りを見るとどんな出来事もそう見えます。
逆に、「自分はこんなもんじゃないかも」と疑うことで「こんなもんじゃない」理由が見えてきます。
単純に「好きなことしたらいい」という話で「何かを成そう」という話ではないのでそんな大きな決意は必要ではありません。
この世界を楽しむために一度自分の可能性をいい意味で疑ってみてください。
4-2.周りから批判されたくない
無難を選びたい二つ目の理由は周りから批判されたくないからです。
これは結構大きな当てはまる人が多いのではないでしょうか。
批判されたくないから無難でいる。
批判されないという目的を達成するには無難でいることが一番無難ですよね笑
ただ、批判されたくないから無難でいると結果的に大きなものを失うことになります。
自己肯定感や自信がなくなり、人の目が気になる、何のために生きているのか、自分をおさえているからこその他人への怒りや不満などなど。
もし、上記のような困ったことがなければそれでいいのですが、もし当てはまる場合はそれは「批判されたくないから無難に生きる」というスタンスから来ているでしょう。
批判されない代わりに(無難でも批判はされますが)、多くのものを失っているのです。
逆に、批判さえ受け入れて自分の好きなように生きれば今目の前の悩みはほとんど解消すると言えます。
だから批判を覚悟することはおすすめです。
批判をされることは怖いかもしれませんがただの他人からの評価なんですよね。
そして、他人を批判する人のレベルの低さ。
そんなレベルの低い人に認められても仕方ないし、逆にそんな人から認められ仲間だと認識される方が私は問題だと思います。
『嫌われた方がいい人には嫌われる』
とても大事なことで、そこを引き受けていくのはやはり決意かなと思います。
もし自分の人生に対してモヤモヤしているのであれば批判も覚悟して無難から離れ自分の拘りたいところは拘る、という生き方にシフトしてもらえたらと思います。
5.まとめ
今回は、無難についてまとめました。
無難でも全然いいし私もほとんどのことは無難に生きてます。
(そこまで拘ることがないし熱量は皆無の分野が多いですし)
しかし、「自分がここをなぁなぁにしてしまったら生きる意味が分からなくなる」と感じるというところは何があっても譲らないでいてもらえたら人生とても充実するのではないかなと思います。
そのために、自分の可能性をいい意味で疑い、周りからの批判を覚悟して進んでいってもらえたらなと思います。
ぜひ目いっぱい人生を楽しんでいってくださいね。
また、自分とは何かについて疑問に思っている方は、「自分探し」では見つからない本当の自分の見つけ方も参考にしてみてください。