自分とは何者か!?悶々とした毎日を張り合いのある毎日に変える方法

  • 2021年8月13日
  • 自信
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日々、生きていても悶々とした気持ちを感じる。
そんなことありますよね。

私も25歳くらいまでずっと悶々とした日々を過ごしてきました。
「自分は一体何者なのか!?」「生きるってどういうことなんだろう」
そんなことを考えながら、出口のない答えを探していました。

この記事は、そんな悶々とする気持ちを解消する方法を紹介していきます。
生きる上で感じる悶々とした気持ちはどこからやってくるのか、そしてどうしたら気持ち良く毎日を生きることができるのか解説していきます。
ぜひ、悶々とした気持ちを解消して、すがすがしい毎日を送ってもらえたらと思います。

1.毎日が悶々とする理由

まず、いきなり悶々とする理由から話をしていこうと思います。
悶々とする理由を端的に表現すると「自分の人生を生きていないから」ということになります。

「自分の人生を生きる」とは何も、自分の使命を見つけて自分の情熱を燃やすということではなく、「人からの評価」や「正しいか正しくないか」を軸に生きているということです。
自分の気持ちはとりあえずおいておいて、「他人から評価されるために」「世の中的に正しく、良いと言われる行いを」ということを優先しています。

すると、「自分のこれでいいんだろうか」という漠然とした疑問が湧いてきます。
それは他人を優先するがあまり、「自分は自分でOK」という感覚が育まれず、他人の評価や正誤善悪を優先することで「他人から認められたら自分はOK」という「ありのままの自分に許可を出せない状態」が色濃くなるからです。

この「自分はこれでいいんだろうか」「ありのままの自分はOKではなくNGかも」という感覚が、いわゆる悶々とした気持ちの正体です。

2.悶々とした気持ちを解消するには

つまり、悶々とした気持ちを解消するには他人からどう見えるかや正誤善悪を優先するのではなく、「自分の気持ち」を優先したらいい、ということです。
自分の気持ちをしっかりと捉え、その気持ちに従って選択をする。
これだけしていけば、悶々とした気持ちはなくなり日々充実した気持ちで生きていくことができます。

他人中心、正誤善悪優先とは要は他人の価値観で生きているということであり、他人の人生を生きているということです。
これを自分の気持ちに従うという自分の生き方にシフトしていくということです。

これにより、「何で生きてるんだろう」という悶々とした気持ちが無くなるし、自分の気持ちに従うことで自己肯定感が上がり「自分は自分で良かったんだ」という感覚が広がります。

3.悶々とする原因であるドライバーを外す

ただ、「自分の気持ちに従う」と簡単に言っても、初めのうちは「自分の気持ち」が見えにくいものです。
今までずっと他人優先、正誤善悪優先で生きてくると、そこに安心を感じるようになります。
だから、「他人の役に立ちたい」「(こっちの方が正しそうだから)こっちをやりたい」と、「~したい」という表現で「自分の気持ち」をミスリードしていってしまうことが多いです。

確かに、「~したい」に始まる気持ちは自分の気持ちなのですが、自分の心から湧いてくる気持ちと頭で損得を考えて出てきた気持ちは明確に異なります。
後者の損得からの気持ちに従っても悶々とした気持ちは解消されないので、自分の心から湧いてくる気持ちを見つけてそこに従うことが必要になります。

では、どうしたら、自分の心から湧いてくる気持ちを見つけることができるのか、という話なのですが、その話をする前に「頭で損得を考えて出てきた気持ち」を具体的に説明しながら、自分の気持ちを見つける方法について話をしていこうと思います。

3-1.5つのドライバー

まず、我々は親や社会の教えから5つの方向性で駆り立てられています。
心理学者のテイビー・ケーラーが唱える5つのドライバー(駆り立てる)の話ですね。

  • 完全であれ
  • 努力せよ
  • 急げ
  • 喜ばせろ
  • 強くあれ

これは、先ほど説明した心から湧いてくる気持ちではなく、我々が今に至るまでに教えられた価値観に影響を受けているものです。
言い換えると、この方向性の欲求が出てきた場合、それは「心からの気持ち」ではなく「教えられた価値観に従うという頭で考えた気持ち」である可能性が高いです。

よくカウンセリングの現場でも「完璧にしている方が気持ちいい」「自分は努力が好き」「他人を喜ばせたい」という言葉が出てくるのですが、よくよく聞いていると、「否定されたくないから完璧にしたい」「成長しないと置いてかれそうだから努力したい」「他人に喜ばれることで自己価値を感じるから他人を喜ばせたい」という損得が紐づいています。

この損をしたくない気持ちや恐怖からその物事をしていたところで、悶々とした気持ちは払しょくされず、「完璧じゃない自分はダメだ」「努力しなくては・・」と、条件付けで自分を肯定することになります。

3-2.5つのドライバーを外す

この5つのドライバーに影響されている状態で、心からの気持ちは分かりずらいのでまず5つのドライバーを外すことが必要になります。
では、どうしたらドライバーを外すことができるのか。
それは、そのドライバーと逆の行動を取ることです。

  • 完全であれ→中途半端にやってみる
  • 努力せよ→だらだらする、非生産的なことをする
  • 急げ→ゆっくりやる
  • 喜ばせろ→喜ばせない
  • 強くあれ→弱音を吐く、誰かを頼る

実際に、ドライバーと逆の行動をとりながら、「そんな自分でいい」と自分に許可を出していきます。
すると、完全である必要も、努力する必要も、急ぐ必要もなかったことに気づきます。

ポイントは【逆の言動を実際にする】ということろです。
「完全でなくてもいい」といくら自分に許可を出したところで、完全を目指して行動していたら「完全でなくてもいい」が腑に落ちることは一生ありません。
実際に、中途半端な行動をする、だらだらしながら、ゆっくりする、他人のことは度外視して弱音を吐くし、他人を頼る。
そうすることで、自然とドライバーが外れていきます。

また、このドライバーを外す行動をするときに、中途半端にしたいから中途半端にするんじゃなくて、自分の気持ちはいったん置いておいて、ドライバーを外すために逆張りをするということです。
人を喜ばせたくてもぐっとこらえ、いつもと違う行動をしてみてください。

そうやって、ドライバーを外していったら、自然と「自分の気持ち」が分かるようになっていきます。
そして、「自分の気持ち」に従っていくことで初めてこの世界で生きている感覚を得ることができます。
誰の人生でもない、自分の人生を生きている感じですね!
こうなってくると日々感じる悶々とした気持ちはいつの間にか無くなっています。

4.その他悶々とする気持ちを解消する方法

基本的に、自分の本当の気持ちを見つけてその気持ちに従えば悶々とした気持ちは解消していきます。
ですので、自分の気持ちを見つけてその気持ちに従えばいいのですが、ここではさらに私をより自由に「自分でいいんだ」という感覚にしてくれた方法を紹介していきます。

4-1.本来の性格を取り戻す

自分の気持ちに従うことと似ているのですが、本来の性格を取り戻すことで「自分は自分でよかった」という感覚が広がり悶々とした気持ちが解消していきます。

前述のとおり、我々は色んな人の教えから「これが良い、あれはダメだ」という価値観をインストールして自分の性格を変えてきます。
「いい人で明るく、人の役に立つ」みたいな感じです。

この良いと言われる性格を演出して、仮にその性格が誰かに受け入れられたところでそれは本来の自分が受け入れられたわけではなく、相手から気に入られるであろうキャラクターがただただ受け入れられただけで、自分が受け入れられた嬉しさも安心感もありません。
そもそも、相手によく映る性格を演出するというのは自分が自分を受け入れていないということですからね。

本来の性格を受け入れていないし、それを出してもいないから、「自分は自分でいいのか」「自分とは一体何者なのか」というところで悩むことになります。
だから、自分の本来の性格を受け入れ、その本来の性格で生きることでより自分は自分でいい感覚や「自分とのこの自分だ」という自己一致の感覚を得ながら生きていくことができます。

まず、自分の本来の性格を見つけることから始めてもらえたらと思います。
では、自分の本来の性格とは、という話なのですが、安心感や幸福感は自己一致から作られる!すぐにできる自己一致の方法に詳しく書いているので参考にしてみてください。

4-2.自分で決める

次に、私の悶々感を払拭してくれたものは「自分で決める」ということでした。
悶々としている時も自分で決めてないわけではありませんでしたが、「あの人がこう言いそうだからこうしよう」「ここはこうしておいた方がいいからこうしよう」と決定の基準が「相手」や「正解」にありました。

この状態では、自分で決めている感覚はなく、「決めさせられている」「誰かの意思」という感じがしていました。
そうではなく、自分の意思で自分が決めていくと自己決定感が育まれ、何を選んでもいいんだ自分の自由にしていいんだという感覚が広がりました。

だから、自分で決めるという話なのですが、人はなかなか自分で決められません。
それは、損したくないからです。
そして、その損の多くは「責任を引き受けたくない」ところから来ています。

何か良くないことが起きたときに、「これを選んだのは誰だ!?」という時に「私です」と誰も言いたくはないということです。
実際に、「これを選んだのは誰だ!?」と言われる機会なんてないのですが、自分の気持ちとして「これを選んだのは誰だ!?」と仮に言われたら、「いや、私じゃない」という逃げ道を用意しておきたい心理が人にはあります。

この「いや、私じゃない」という逃げ道を用意することが自分で決めることを拒みます。
だから、逆に、その決定の責任を自分が取る、という心構えをしていてもらえたらと思います。
要は自分の人生の責任を自分で取る、ということですね。

「責任」というと重く感じるかもしれませんが、「これを決めたのは誰だ!?」と仮に聞かれたときに「紛れもなく私です」と言う準備をしておくということです。
「逃げも隠れもせず、私だ」と。
それが自分の人生に責任を持つことであり、自分の人生の舵を自分で切っていくということです。

自分の人生の舵を自分で切っていけたら、毎日張り合いと充実感を得ながら生きていくことができます。

5.「悶々とする」まとめ

以上が悶々とする気持ちになる理由とその解消方法です。
悶々とした気持ちは要は自分の人生を生きていないからです。
そして、自分の人生を生きることを回避する心理(ドライバー)がそこにはあります。

その心理を越えて自分の気持ちに従うことで、手ごたえを感じながら自分の人生を生きることができます。
自分の人生を生きるには、損をすることや責任を引き受ける場面もあるかもしれませんが、それ以上に毎日充実して楽しく暮らせるので、ぜひ、矢面に立ち、「これが自分だ」「自分はこう生きたいんだ」という姿勢を貫いてくださいね。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
人生に迷ったら立ち止まろう!自分の人生を見つける3つの判断基準に自分の人生を見つける3つの視点を書いているので、自分の人生を真剣に考えている方はこちらも参考にしてみてくださいね。