自傷癖がやめられない!自傷が自然と終わる「自分を許す」ということ

気がつくと自分を傷つけている。
やめようと何度も思っても自分を傷つけることをやめられない。
周りに心配や迷惑をかけて申し訳ない。

「自傷の癖をやめられない」

今回は、自傷について説明していきます。
なぜ自分を傷つけたくなるのか、どうすれば自傷をやめられるのか、
そして、そんなことよりももっと大事なこの世界を自由に幸せに生きるための「自分を許す」という話をしていきます。

本文でも書きますが、自傷をやめようなんて思う必要なんてありません。
あなたの体なんだから、自分で好きなようにしていい。
誰かが言うことを勝手に真に受けて、「これもしちゃダメ」「あれもしちゃダメ」と自分を追い込まないでください。

今、あなたが自分を傷つけたい衝動に駆られるのだから、
それは、今、あなたにとって必要なことです。
それを誰かのルールに従って、自分の自由を制限しないでくださいね。

その前提の上で、自分を傷つけることをやめるよりずっとずっと大事な
「そのままの自分を許す」という話をしていきます。

目の前の出来事という表面にアプローチしてもあまり意味がないんですよね。
それよりも根本的なところを変えていく。
すると、目の前の出来事が簡単に変わります。

それは自傷もしかりです。
根本的なところで自分を自由にして幸せにしてしまえば、
自傷をする必要もなくなり、したくもなくなる、ただそれだけの話です。

1.なぜ自傷をしたくなるのか

まず、最初になぜ自傷をしたくなるのかについて簡単に説明します。
自分を傷つけたくなる理由は、以下の二つになります。

  • 自分を罰したいという気持ちがあるから
  • あなたの中にやり場のない息苦しさや苦しさがあるから

自分でも気づいていないかもしれませんが、
自傷のベースには「自分を罰したい気持ち」や「やり場のない息苦しさや苦しさ」が存在しています。
自分を責めたい欲求や、やめようと思った自傷をまたして自分にがっかりしたい気持ち、
息苦しさを吐き出したい衝動や、わかって欲しい気持ちから自傷をしているのです。

だから、無理に自傷をやめようとする必要はありません。
吐き出したくて、わかって欲しくて、自分を責めたくてするのだから、自分にそうさせてあげたらいいのです。

もっと言うと、自分を傷つけるという自由まで制限しないでもらえたらと思います。
後述しますが、「やり場のない息苦しさや苦しさ」は本来は自由なはずの自分の言動を制限することによって生まれます。
そのはけ口である自傷までも制限してしまったら、何の自由もなくなってしまいます。
まず自分に自傷することを許してあげてくださいね。

周りの人は、自傷するなと言うかもしれません。
しかし、それはその人があなたが自傷している姿やその傷を見たくないからです。
それによって、怖さや痛さ、悲しさや不安を感じたくないから、「自傷するな」と言うのです。

それを真に受けて「してはいけないこと」と捉えないでくださいね。
周りが心配しようが何と言おうが、自分が衝動に駆られたら自傷していいし、そんな自分を責める必要はありません。
周りにはその怖さや痛さ、悲しさや不安を感じさせておけばいいのです。

2.目を向けるのは表面の出来事ではなく根本的なところ

というわけで、自傷は「自分を罰したい気持ち」や「やり場のない息苦しさや苦しさ」のはけ口であり、
そのはけ口さえも抑え込まないでねという話でした。

この自傷が「自分を罰したい気持ち」や「やり場のない息苦しさ」のはけ口というのは、
見方を変えれば、「自分を罰したい気持ち」や「やり場のない息苦しさ」が表面に出てきた一現象と言い換えることができます。

どういうことかというと、自傷したい衝動に駆られるのは、
あなたの何かがおかしいわけでもなく、病気なわけでもなく、
「自責の気持ち」や「やり場のない息苦しさ」が自傷というカタチで現れたということです。

もっと言うと、今回は自傷というカタチで現れましたが、
拒食や過食、うつや無気力、自暴自棄、など様々なカタチで現れます。

この表面に現れた現象を問題だとして、
それを辞めようとすることや薬などで抑えること、カウンセリングを受けることは場当たり的な対応です。
モグラ叩きを永遠とするようなもので、モグラを出したくなければモグラ叩きの電源を切る方が手っ取り早いということです。

つまり、自傷という表面的な現象をどうにかするのではなく、
「自分を罰する気持ち」や「やり場のない息苦しさや苦しさ」から解放されて自由に幸せに生きたらいいのです。

ちなみに、ここで言う幸せも、楽しい出来事や友達、理想の生活をするなど、
目の前のカタチを整えるという表面的な話ではなく、
幸せを感じる自分に整えていくという話です(幸せとは感じ方です)。

この「自分を罰する気持ち」や「やり場のない息苦しさや苦しさ」から解放されて、
この世界は自由だったことを知り幸せを感じだしたら、自傷をしようとも思わなくなるし、
それでも自傷したいなら、満たされた気持ちのまま自由に自傷したらいいと思います。
(実際のところ、自由で満たされた気持ちと自傷したい衝動は同時に持てませんが)

ですので、ここからは「自分を罰する気持ち」と
「やり場のない息苦しさや苦しさ」を解放する方法について説明していきます。

3.自分を罰する気持ちを解放する方法

まず、「自分を罰する気持ち」を解放する方法について説明していきますが、
その前に、ここでもやはり、自分を罰してもいいし責めてもいいということを覚えておいてください。

自分を責めることをやめられない自分をまた責める、という変な構図なり、
それもまた苦しいので、自分を責めてもいいとまず自分に許可してみてください。

そして、この自分に許可をするというのは、自分を責めることだけではなく、
あらゆることについても同様です。

  • 誰かの期待に応えられない自分
  • みんなと一緒が出来ない自分
  • 自分を責める自分や自傷する自分

どんな自分であっても、それがダメなんてことはこの世にありません。
誰が責めてきても、誰が否定してきても、どんな自分でも自分はそれでいいのです。
そして、「自分は自分でいい」というのは誰かが決めることではなく、自分が決めることです。

人と比べることや常識やルールから自分を裁くことは、自分以外の何かに基準を置いているということです。
しかし、あくまで基準は自分でいい。

「自分より出来る人がいるから自分はダメ」なのではなく、
「自分より出来る人はすごい」というだけの話です。

いい意味で開き直ると表現してもいいかもしれません。
「自分はこうなんだからこう」「自分はそう感じるからそう」ただそれだけです。
ぜひ、自分基準を取り戻して、今まで責めて来た自分を許してあげてください。

それでも責めたい場合は一度自分のことを思いっきり責めてみてください。
中途半端にせず自分を責めきることで、「もういいかな」とふと感じる時が来ます。
海底に足が着く感覚です。
まだまだ責め足りないという場合は、思いっきり責めてみてくださいね。

また、自分責めを辞めることに関して、
ダメ人間な自分を責める辛さを解消する方法に記事としてまとめてあるので、
参考にしてみてください。

4.やり場のない息苦しさを解放する方法

では、次にやり場のない息苦しさを解放する方法について説明していきます。

4-1.自分の息苦しさをわかってあげる

まず、自分の息苦しさをや苦しさを自分がわかってあげてください。
みんなそうしている、みんな頑張っていると他人と比べて自分の息苦しさをなかったことにするのではなく、
あなたが今どう感じているか、その気持ちをそのまま感じたらいいです。

息苦しかったら息苦しい、苦しいなら苦しい、八方塞がりでもう嫌ならもう嫌だと、
自分の気持ちを否定せず、ないことにするのではなく、自分の気持ちを感じてみてください。

もっと言うと、あなたは様々なルールを守ろうとし、誰かの期待に応えようとし、
誰かを喜ばせようとして頑張ってきました。
その頑張っている自分を労ってあげてください。

結果が出ていないとか、もっとやっている人がいるとか、まだまだだなんてことは関係ありません。
自分の頑張りも過小評価せず、ねぎらう。

「よくやっているよ」「頑張ってきたな」「あんまり頑張りすぎないようにね」
自分が欲しがっている言葉を自分にかけてあげてくださいね。
自分が自分の理解者になってあげるだけで、安心や嬉しさが少しずつ広がっていきます。

できることもできないことも、やる気が出ることも出ないことも、何を感じるかも、
どんな自分もそれで良くて、「自分がそう感じるからそう」ただそれだけの話です。
まず、自分に厳しくするのではなく自分に優しくねぎらって欲しいと思います。

4-2.今までのしがらみを捨てて自由になる

そして、これは勇気が必要なことなのですが、
今まで守ってきたルールを一つづつ破ってみてください。
今まで身につけて来たルールやしがらみを全部捨てて自由になって行くということです。

何かに息苦しさや苦しさを感じる時、自分には自由がないように感じると思います。
しかし、本当は私たちはものすごく自由なんですよね。

本来、何をするのも何をしないのも自分で決めることができます。
会社に働きに行ってもいいし、会社に行かなくてもいい、
学校に行く自由、行かない自由、ご飯を食べる自由、自傷する自由、誰と会うか決める自由など、
あらゆる自由が自分にはあります。

そんな自由な状態なのに、世の中の常識や誰かの言葉によって、
学校にいかなければならない、働かなければならない、
この人と会わなければいけない、話を合わせて愛想笑いをしなければいけない、自傷してはいけない、と、
「やらなければならないこと」や「やってはいけないこと」で埋め尽くされているのです。
そんな状態だと、生きているのが嫌になるのは当然だと思います。

しかし、その世の中の常識や誰かの言葉は絶対守らなければならないものではありません。
つまり、何を信じ、何を良しとするかを決める自由も自分にあるということです。

今、もし息苦しい状態であるならば、
常識や誰かの言葉を「守らなければいけないルール」として自分が採用してしまっているということです。
表現を変えると、見聞きしたものを真に受けて自分の自由を自分が制限しているということなのです。

だから、自分の自由を制限することなく、自由を確保していくことで、
やり場のない息苦しさや苦しさはどんどんなくなっていくのですが、
いきなり、「自由なんだよ」と言われても戸惑うと思います。

ですので、自分がいままで守ってきたルールを見つけて、一つずつ破っていくことで、
「守らなくてもいいルールだったんだ」ということに一つずつ気づいていってください。

ルールを一つづつ破って捨てていくことで、段々と自分が自由であることや、
誰が何と言おうと、すべて自分が決めていたこと、自分の人生の決定者は自分であることに気づいてもらえます。

ぜひ、「これはやらなければならない」と今まで当たり前に思ってきたことを一つづつ崩していってみてください。
そんなものはこの世に存在しません。
そんなルールに縛られて、苦しい毎日を送る必要もないのです。
勇気を出して、自分が制限してきた自由を取り戻してもらえたらと思います。

5.判断基準はあくまで自分の幸せかどうか

自傷の根本と言っても、複雑で多岐に渡るわけではなく上記のようなシンプルな話となります。
自分が思ったように行動したらいいし、自分の感じることはそれでいいと体験を伴ってわかった瞬間に、
世界は簡単に一変する、実はそれだけなのですよね。

そして、その自分の自由を取り戻す一つ一つのアクションに対して何か言ってくる人がいるかもしれませんが、
そんな人の意見はぜひスルーしてもらうことをオススメします。

実際にやってみて、人から否定された時に「やっぱり自由にしてはいけないのだ」と思ったという話も聞きますが、
判断基準がなぜ「人からどう思われるかなのか」とツッコミを入れたくなります。

判断基準は人から否定されるか否か、嫌われるか否かではなありません。
自分が楽で自由で幸せか、ただそれだけです。

そして、思っているよりも他人は自分が勇気を出してやったことに対してとやかく言ってきません。
自分が勇気を出して行動したことにそもそも気づいていないことも多いのです。
それほど、自分が守らなければならないと思っているルールは自分一人で勝手に持っているものなのです。

ですので、ぜひ、人からどう思われるかを越えて自分の幸せを優先してみてください。
仮に誰に嫌われても、自分の気持ちを優先するという「自分が味方」の状態であれば、
満たされた気持ちでいられるし、自分に守ってもらっている頼もしさを感じます。

そして、そんな自分と気持ちよく付き合える人とだけ付き合ったらいいのです。
なぜ自分を押し殺してまで、仲良くしていなければならないのか、誰かの機嫌をとらなければいけないのか。
そんな必要はまるでないので、自分の味方でいること、自分と仲良くすることだけを考えてもらえたらと思います。

6.まとめ

今回は、自傷癖をやめたいをテーマに自傷をどう捉えるか、
そして、自傷の奥にある「自分を罰する気持ち」や「やり場のない息苦しさ」を解放する方法について説明しました。

目の前の現象を問題だと捉えて、その現象を抑えよう、やめようとするのではなく、
その根本である「自分を罰する気持ち」や「やり場のない息苦しさ」を解放することにフォーカスしてみてください。

責めたい自分がいるかもしれないけれど、そんな自分も許していく、
守るべきルールだと押し込めてきた本当の自分で生きることを自分に許していく。
本当の自分を許していくことで、どんどん満たされて幸せな気持ちが内側から溢れてきます。

そうなっていったら自然と自傷をしなくなった自分に気づいてもらえると思います。

自傷をやめようと自分を押し込み追い込むのではなく、
逆に、自分や自分の自由を許してあげてくださいね。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

自分を許すことについて、インナーチャイルドの育て直し方に別の角度から記載しているので、
はっきりイメージがつかないという場合は参考にしてみてください。