本質的に相手を受け入れる唯一の方法!見せかけの受け入れを卒業するには

相手を受け入れる人付き合いをしていきたいけど、そもそも相手を受け入れるとはどういうことなのか。
この記事では、「相手を受け入れる」ことに興味がある方に本質的に相手を受け入れるとはどういうことなのか、そして、実生活で相手を受け入れることを実践するとどういう付き合いになっていくのかについて話をしていきます。

相手を受け入れるとは、相手と同じ意見を持つことでも「どんな相手でもそれでいいから」と自分を抑えることでもありません。
自分も相手も幸せにする「相手への受け入れ」を実践してもらいながら、楽しく素敵な人間関係を築いてもらえたらと思います。

1.相手を受け入れるとは

まず、相手を本当の意味で受け入れている状態とはどのような状態かについて話をしていきます。
一言で表現すると「相手は相手でいい」と分かっている状態です。

相手が何を考えてもいいし相手がどんな性格でもいい。
何をしてもいいししなくてもいい。
ということを、”頭で”分かっている状態や分かろうとしている状態ではなく、感覚として腑に落ちている感じですね。

この”頭で”分かっているのか、腑に落ちているのかというところがとても大切なところになります。
「相手のことを受け入れよう」「相手は相手でいいから」と頭で考えいるということは、実は相手のことを受け入れてない状態ですからね。

それは、「こうしよう」と考えるということは「今そうしていない」ことの証明だからです。
今からラーメンを食べよう思うというのは今ラーメンを食べていないということです。
すでにラーメンを食べている人はラーメンを食べようとは思いません。

それと同じで、「相手のことを受け入れよう」「相手はそのままでいいんだから」と考えているということは、相手を受け入れていないということです。
そうではなく、そのことを腑に落としていくこと、要は当たり前にしていくことが「相手を受け入れる」と言うことです。
少し難しく感じるかもしれませんが、具体的なやり方については後述しますね。

2.相手を受け入れるとは自分が我慢することではない

また、相手を受け入れるとは自分を我慢させることではないということにも触れておきます。
「相手は相手で良くて」「自分は自分でいい」という考えを持っていると、時に両者の意見やこうしたいという気持ちが両立しないことがあります。

例えば、相手は週末に出かけたくて自分は家にいたいというような場合。
もちろん、相手は相手で良くて自分は自分でいい。
しかし、お互いの気持ちが両立しないというような時です。

そんな時、相手の意見に合わせて週末に一緒に出掛けることが相手を受け入れるということではありません。
それは相手を受け入れるんじゃなくて、ただ相手に合わせているだけです。
いつかそのコミュニケーションには無理が来ます。

そうではなくて、相手が週末出かけたいのであれば出かけることを許し、自分は家にいたいんだから家にいる。
それが相手を受け入れる(自分も受け入れる)ということです。

要は、相手に対して何かを強制しない。相手の自由を尊重する。
そして、自分の自由も尊重するということです。
ここを忘れて相手に合わせることが相手を受け入れるように思われがちですが、自分の自由が尊重されていなければ意味がありません。

これは相手への受け入れだけでなく、相手への優しさ、配慮、受け入れ、全てにおいて自分が自分を尊重して初めて出てくる概念です。
自分に我慢をさせて自分に優しくできていないのに、本質的に他人に優しくできるわけないですからね。
ぜひ、このことは覚えておいてください。

3.相手を受け入れるけど好き嫌いはあっていい

さらに、好き嫌いという自分の感覚も尊重してください。
それはどういうことかというと、「相手は受け入れているけどあの人が嫌い」という感覚はあってもいいということです。

つまり、「相手を受け入れる」とは相手の存在を認めるということなんですよね。

相手が何を考えても何をしてもいい。
そんな相手が幸せに生きていったら良いと思う。
ただ、「一緒にいると自分が傷ついたり嫌な思いをしたりするから一緒にいない」というのもありだし、「相手は相手でいいけど自分は何か嫌い」というのものありなんですよね。

好き嫌いはとても自然なことです。
その一方で相手は相手でいい。
結構混同して混乱しやすいんですが、好き嫌いと相手を受け入れることは完全に別のことです。

あの人は嫌いだけどあの人はあの人として幸せに生きたらいい。
そう思えたら相手を受け入れていますよね。

4.相手を受け入れられない理由

段々、相手を受け入れるというイメージが具体的になってきたでしょうか?
簡単に言うと、相手の存在を認めつつ自分が感じることはそのままでいいってことですね!

言葉にするのは簡単ですが、なかなか相手を認めれらなかったり相手を受け入れられなかったりします。
ここでは、なぜ相手を受け入れられないのか理由を説明していきます。

4-1.「こうするべき」という価値観がある

まず、相手を受け入れられない理由の一つ目は、「こうするべきという価値観が自分にあるから」になります。
人は生まれてから今に至るまでに正誤善悪の価値観を持ちます。
相手に優しくすることが良くて相手に冷たいことはダメ、などの価値観により「こうするべき」という自分と相手を縛るルールを持っています。
その「こうするべき」という価値観にに反する相手をダメだと感じるため、どんな相手でもいいと受け入れることができなくなります。

4-2.損を被る恐れがある

相手を受け入れられない二つ目の理由は、「相手が自由にすることを受け入れると自分が損をするかもしれないから」です。
相手が自分勝手に好きなことを言ったり好きなように振る舞ったりすると、自分はそれに付き合わなければならず聞きたくない言葉を我慢して聞いたり相手の自分勝手に振り回されるかもという損が付きまといます。

そんな損をしないために、「こういう人は人としてダメ」「人はこうするべき」というルールを設け、その条件をクリアしている相手はそのままでいいけど、それをクリアしない人はダメだと条件を付け相手を受け入れないことで、自分の身を守ろうとするのです。

この考えについては、前述の通り「相手はそのままでいいけど、自分の好きはあっていい」という説明で解消できてしまいます。
つまり、相手はそのままでいいけど聞きたくない言葉は聞かなくていいし、あまりにも頻繁に嫌なことを言ってくるようなら付き合いを辞めてもいいということです。
嫌な人と付き合わなければいけないと思っているから相手を受け入れないわけで、嫌な人と付き合わなくていいと分かったらその相手がどんな人でもいいわけです。

一見冷たいように感じますが、個人的には相手を受け入れている後者の方が健全で自然なんじゃないかなと感じます。

4-3.自分と相手の境界線が不明瞭

最後は自分と相手の境界線が不明慮なため、相手を受け入れられないというものになります。
本来、人には自由があり、自分に自由があるように相手にも自由があります。
そして、お互いにその自由を侵さないように付き合わなければ良好な人間関係は育まれません。

具体的に説明すると、例えば親が子どもに勉強をしないさいと強制する。
これは子供の自由を侵害している状態です。
逆に、自分が嫌だと言ったら相手はきっと嫌な気分になるから言わないでおこうと考えるのは、勝手に相手のことをおもんぱかって自分の自由を制限している状態です。

人間付き合いで悩む人の多くはこの相手と自分の境界線、つまり管轄が不明瞭です。
つまり、相手の自由を制限するし、相手のことを考えて自分の自由も制限しがちということになります。

では、この話と相手を受け入れないこととどう関係してくるかと言うと、自分と相手の境界線や管轄が不明瞭だと自分の自由を自分で守れないということになります。
相手のことを過度に考えすぎるし相手にこうしろと言われたら自分の気持ちはそっちのけでその言われたことを守ろうとします。

つまり、相手が自分の自由や気持ちを考えてくれる思いやりのある人でないと、自分の自由が簡単に脅かされてしまうということですね。
だから、相手に自分が居心地のよい人間像を求めるということです。

また、逆に相手のことを考えすぎるということは、相手の気持ちにも責任を持ってしまうということになります。
相手が嫌な思いをするのは自分のせいだと強く思っていると、自分の言動を制限することによって段々とその相手に息苦しさを感じたりイライラしたりします。
ちょっとしたことで「こんなに相手のことを考えてるのに」という不満も感じやすくなってしまうのです。

このパターンに心当たりがある方は、ぜひ、自分と相手の管轄を分ける練習をして自分の自由と相手の自由があることを当たり前の感覚にしておいてください。
相手を受け入れることだけではなく、人間関係を圧倒的に楽に自由にしてくれます。

管轄を分けるトレーニングについてはオンラインサロン用に撮った動画があるので、参考にしてみてください。

5.相手を自然と受け入れられる唯一の方法

では、いよいよ、相手を受け入れられる方法を紹介していきます。
この方法は相手を受け入れる唯一の方法で「相手を受け入れよう」なんて思わなくても相手を受け入れられる方法になります。
その方法は何かというと、「自分を受け入れる」ということになります。

先ほどの「こうするべき」のところで触れましたが、私たちは今に至るまでの間に色々なことを学び自分のものにしてきました。
これをしてはいけないというルールやこうすれば人から良く思われる法則、人に嫌われないためにしておくこと。

それらの結果、私たちはこの社会でうまく生きられるようになったかもしれませんがその反面窮屈さや満たされなさを感じています。
また、こうあるべきという人物像から外れた自分を責めて苦しい思いをしています。

そんな窮屈さや満たされない思い、自分責めによる苦しさはどこから来るかというと、自分を受け入れていないところから来ます。
どんな自分もOKということが腑に落ちておらず、条件付きで自分を受け入れているということになります。

自分のことを条件付けで良い悪いとジャッジしているのだから、人に対しても無意識に条件付けで良い悪いを判断して相手を丸ごと受け入れることができなくなります。
仕事ができない自分ではダメだと思っていると当然仕事ができない相手もダメだと思うということです。

逆に、自分のことを丸ごと受け入れてしまったら相手に対しても自然に受け入れることができます。
それはなぜかというと、良い悪いという条件やモノサシを捨てたということになるからです。

先ほど説明した「こうするべき」も自分を条件付けで見ているということであり、損得や他人との境界線が不明瞭に関しても自分の自由や自分の気持ちを受け入れず、自分より自分以外の何かを優先しているということです。

自分を受け入れるとは、自分の性格や自分の気持ちに正誤・善悪のジャッジをせずそのまま採用して表現していくということです。
それは一見、自分勝手で相手のことを考えないように思われがちですが、自分の性格を受け入れているからこそ相手の性格を違和感なく受け止められ、自分の気持ちを大事にできるからこそ相手の気持ちを自然と大事にできるのです。

この順番を間違えて、自分は我慢させながら相手を受け入れている風を作るとどんどんどんどん人付き合いは窮屈に苦しくなるし、相手に対して内心不満も溜まるし、自分が何を考えているか何が楽しいのか分からなくなって、自信も満たされた気持ちも感じなくなります。

ぜひ、相手を受け入れるためというより、自分自身が楽に自由に満たされた毎日を送るために自分を受け入れてみてください。
具体的には、こんな性格じゃダメだよなという性格で生きるということであり、自分の「やりたい」「やりたくない」気持ちを優先させちゃいけないよなという場面で優先していくということです。
そうやって一つずつ自分の性格や気持ちを受け入れていくことで満たされていきます。

そして、その過程で自然と相手のことをおおらかに見られている自分に気づくし、相手は相手でいいということが当たり前になっている自分に気づいてもらえます。

6.「相手を受け入れる」のまとめ

今回は「相手を受け入れる」についてまとめました。
相手を受け入れるとはどういうことかを前半にまとめましたが、なかなか難しく感じたのではないでしょうか。
ただ、相手に対してそう思っていくように自分を変えていくのではなく(そんな風に思おうとしても思えません)、ただただ自分を受け入れていくことによって、相手を受け入れる状態は作られていくのでぜひ自分自身を受け入れていってみてください。
相手を受け入れられるだけでなく、もっと生きることが自由に楽に幸せなものになっていきます。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
自分を受け入れることに関して自己受容を習慣化する方法に完全版をまとめているので、自分を受け入れることについて興味が湧いた方は読んでみてください。