優越感では満たされない理由!本当の自信の取り戻し方

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前にいる牛が勝ち優越感私はあの人より仕事もできるし交友関係も広い。
いい男も寄ってくるし毎日人生を楽しんでいる。
あの人にもあの人にも勝っている。

うん、私は素晴らしくて人生を謳歌している。
・・・でも、この虚しさは何なのだろうか。

今回のテーマは優越感についてです。
「人と比べて優っているはずなのに」「自分は人と比べて恵まれているはずなのに」の『はずなのに』の部分をこの記事では解消していきます。

心が満たされて幸せかどうかは人と比べて優れているかどうかでは決まりません
逆に、他人と比べることから離れることこそが幸せへの道です
そもそも「人と比べる」ということ自体が豊かではありませんからね。

ぜひ、優越感からも劣等感からも離れて、心の底から満たされる毎日を送ってもらえたらと思います。

1.優越感と劣等感の仕組み

まず、優越感の仕組みについて話をしていきます。
優越感と劣等感の仕組みは同じで、自分と相手を何かを基準で計っているところから生まれます

例えば、仕事ができることに関して優越感を抱いている場合、その人が人を見るときに「仕事がどれだけできるか」というモノサシで見ていることになります。
そのモノサシで測った”長さ”によって上下を決めているということです。

つまり、「仕事ができる方が上で仕事ができない方が下」という価値観を持っています。
そして、自分より仕事ができない人を見たときに優越感を抱き、自分より仕事ができる人を見たときに劣等感を抱くということです。
これが優越感と劣等感の仕組みです。
だから、優越感も劣等感も同じ軸の上で上下を決めているという仕組みは同じになります

そして、また優越感と劣等感に共通しているのが、他人との比較をしているということです。
他人との比較によって自分という存在を確認しようとすると、他人に振り回されてしまいます。
他人と比べること自体が苦しいですよね。

2.自分と他人を計るモノサシを捨てると

だから、自分と他人を計る軸を用意して自分の位置を知ることや他人と比較することをやめてしまえば楽になれるわけです。
「人との競争をやめる」「戦いの場から降りる」ということです。

いつでも勝てる自分でいるわけではなく、そもそも戦わない。
戦わないことによって、勝つための無意味な頑張りも負けることへの恐怖も劣等感もなくなっていきます。

そして、何かの軸で自分と相手を計らず他人と比較しないというのは、とても平穏で心が落ち着きます。
私もずっと他人と戦いながら自分の価値が上がりそうなモノサシを用意してその目盛りが上げるように頑張ってきました。
その目盛りが上がれば上がるほど自分は優れていて自信を持てるようになり、周りからも認められると思っていたのです。

しかし、いくら目盛りを上げても自分からも他人からも認められている満足感は得られませんでした。
そして、もうこの路線の先に自分の楽しさや満足感はないと見切りを付け、そのモノサシを捨てたわけですがそこからは世界が一変しました

他人と比べなくても「自分は自分でOK」ということが腑に落ち、不足感や焦りからの頑張りを手放すことができたため、やっと心が落ち着き安堵感が自分の中で広がっていきました。
逆にあのまま人生を生きていくのはとても大変で周りの景色を見る余裕さえなかったなと今となっては思います。

3.優越感と劣等感を生むモノサシの捨て方

では、どうやったら自分と相手を計るモノサシを捨てることができるのかについて話をしていきます。
モノサシの捨て方は以下の二つです。

  • ダメな自分でもいいと許可を出す
  • ダメな自分のまま振舞う

どちらか一方をやるというよりも、この二つを両輪として回していくことによって自然とモノサシで自分も他人も計らなくなっていきます。
詳しく説明していきますね。

3-1.ダメな自分でもいいと許可を出す

自分と他人を計っているモノサシについて、目盛りが少ない自分でもいいと許可を出していくということです。
例えば、仕事をモノサシにしている場合、仕事ができない自分でもいいと自分に対して許していきます。

そもそもこのモノサシを持っているということは、このモノサシの目盛りが少ないとダメで多いと良いという判断基準があります。
そして、そのダメな方に行くことを必死で避けるように日々頑張っているわけです。

「目盛りが少ないのはダメ」「そんな自分はいてはいけない」という価値観で、ダメな自分を嫌い責める対象にしてしまっています。
このダメだと思っている方向に自分がいることを許していきます

そもそも、そんなモノサシの”長さ”であなたの何かが決まるほど、あなたはちっぽけな存在ではありません。
仕事ができないこと、お金を持っていないこと、陰キャラであること、そんなことでダメの烙印が押されそれをずっと引きずっていかなければならないなんてことないんですよね。

「ダメな自分でも素晴らしい」ということです。
ダメを嫌うということは自分の素晴らしさに気づいていないと言い変えることができるかもしれません。
ぜひ、ダメがあっても自分は素晴らしかったことに気づくために、「ダメな自分でもいい」とダメな部分を受け入れてみてください。

3-2.ダメな自分のまま振舞う

人が信じていることはその人の言動に表れます。
もっと言うとその人の言動がその人の信じていることを作ります

だから、内心で「ダメな自分でもいい」と自分に許可を出しても、人といるときにダメな自分を隠しているということは「ダメな自分はやっぱりダメ」を信じているということです。

実は自分の信じていることは簡単に変わります。
脳みそほどいい加減なものはなくて、信じていることや過去の記憶は簡単に補正され、さもずっとそう考えていたかのように考え方は改ざんされるのです。

また一方で、脳には一貫性を過剰に取りたがるという習性があります。
自分の考えていることと言動は一致していないと気持ち悪くて仕方がないので、考えていることと言動は自然と一致していきます。
つまり、自分の言動さえ変えてしまえば脳は信じていることや過去の記憶を勝手に書き換えるということです。

だから、何か自分の信じていることを変えたいときは自分の言動を変えてみてください。
短時間で自分の考えが変わっていくことに驚くと思います。

4.結局モノサシで計っているもの

以上が自分のモノサシを捨てる方法です。
そのモノサシで自分を測って優れている自分に優越感や満足感を感じるより、モノサシを捨て去って競争の場から降りる方が比べものにならないくらい安心だし楽しいし幸せです。
ぜひ、自分と他人を計るモノサシを捨ててしまってください。

そして、そのモノサシを捨てやすくするためにそのモノサシで何を計っているかという話をここでしていきますね。
一言で言うと、モノサシで計っているものは「自分の価値」です。

「自分はこれでいいのか」「自分はここにいていいのか」など自分の価値をモノサシを持ち出して計っています。
逆に、自分には価値があるということの根拠が欲しいということです。
根拠があれば安心できますからね。

しかし、根拠があることは一見強いようで実はとても脆いです
なぜなら、根拠の上に成り立つものは根拠がなくなった瞬間に崩れ落ちるからです。

目盛りが少なくなった瞬間に自分という存在が揺らぎ出す。
それはとても怖いことで絶対に避けたいことですよね。

では、自分の価値は根拠がなければ消え去ってしまうものなのか、そもそも自分の価値を証明できなければいけないのかというとそんなことは一切ありません。
根拠なんてなくても自分には価値があり、自分の価値は当たり前にあるから証明なんてしなくてもいいんですよね。

何があるからここにいていいわけではなく、何もなくてもここにいていいし自分は自分でいい。
それは、自分にだけ特別に許されたものではなく、全世界の全員が許されている当たり前に許されているものです。

そして、そのことに気づくタイミングは勇気を持ってモノサシを捨てたタイミングです。
自分の価値を実感したいから持ち出したモノサシを捨てることによって自分の価値を実感する
面白いのですが、そういう仕組みになっています。

5.モノサシの滑稽さ

モノサシを捨てやすくするための第二弾として、最後にモノサシの滑稽さについて書いていきます。
今、あなたは何を自分を計るモノサシにしていますか?

  • 就いている職業、稼いでいる金額
  • 自分や旦那の優秀さ
  • 考え方の良し悪し
  • センスの有無
  • 頭の良さや学歴

色々なことをモノサシにすることができます。
そして、そのモノサシは人生のフェーズによっても変わるし、人によって何を重要視するかによって変わります。
つまり何が言いたいかというと、あなたが自分と他人の価値を計れていると本気で感じているモノサシは他人にとって極めてどうでもいいことである可能性があるということです。

具体的に、例えば足が早いことに優越感を感じている小学生がいて、あなたに対して「足が早く走れる僕はすごい、足が遅いお前はダメだな」と言ってきたとします。
その時にあなたは、「は?」という意味がわからないこと言ってるなという感覚になるのではないでしょうか?

「足が速い遅いでコイツは何を言ってるんだ」ということです。
足の速さというモノサシとあなたが今持っているモノサシの違いはありません。

本気で人として優れていると感じていることも別の人にとっては、「コイツ、何言ってるんだ!?」になるわけです。
平たい言葉で言うと「痛い」ということです。

別に、優越感を抱いてはいけないと言っているわけではなく優越感を抱いてもいいしひけらかしてもいいのですが、結構滑稽なことなんですよね。
逆に、劣等感も一緒で「自分は足が遅い」ということをおじいちゃんおばあちゃんが悩んでいるようなもので、そんなことで悩まなくてもいいので?と感じますよね。
それと一緒だということです。

ぜひ、そんな自分を生き辛くし滑稽なモノサシは捨ててしまってください。
あなたにとってプラスに働くことはありません。

6.まとめ

今回は、優越感についてまとめました。
優越感を抱いていること自体は気分が良いかもしれませんが、常に劣等感と隣り合わせで心の底から満たされた気持ちにはなりません。

要は、自分という存在を何かで確認していなければいけない程、自信がないんですよね
その自信のなさを埋めるための根拠をモノサシを作ることで埋めているということです。

しかし、逆にモノサシの目盛りの増減で一喜一憂しいつまでも安心感と満たされた気持ちに包まれないので、そのモノサシは捨ててしまってください。
自分に許可を出してダメな自分として生きていくことでモノサシを捨てることができるし、ありのままの自分に対して自信を持つことができます

「自分は自分でいい」というのは当たり前のことなのですが、ぜひ、実感を伴って腑に落としてもらえたらと思います。

自信について、成功体験ではなぜ自信がつかないのか、自信をつける方法にまとめているので、自信というワードにピンときた方は読んでみてください。

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