人からよく見られるために無理をしている。
今更、人に弱みを見せるわけにはいかない。
ガッカリされることがこの上なく怖い。
今回のテーマは「見栄っ張り」についてです。
見栄を張ること自体悪いことではないし、「武士は食わねど高楊枝」なんてことわざもあるように昔から見栄を張ってきたんだと思います。
しかし、自分の弱みやダメなところを見せることができないと感じたり、人といる時はいつも自分以上のものを見せようとしたりすることはとても苦しいことです。
そんな自分以上の作られた自分が認められても評価されても、本来の自分ではないため嬉しく感じるのは一瞬ですぐに心が満たされていない感覚に包まれます。
この記事では、見栄っ張りの辞め方について説明していきます。
見栄っ張りを一切やめていこうということではなく、見栄っ張りな自分も認めつつ弱い自分やダメな自分も表現できるという無理がなく自然なスタンスで生きてもらえたらと思います。
見栄なんて張らなくても、あなたは認められていますからね。
ぜひ、見栄を張らない人間関係を作っていくことで、そのことを体感してもらえたらと思います。
1.見栄っ張りの苦しさ
まず、見栄っ張りだと何が苦しいかについて話をしていきます。
見栄っ張りだと何が苦しいか、一つは自分の言動の選択が自由にできないことです。
「よく思われるため」の言動に縛られてしまう。
人は何かを選択できる時に喜びや幸せを感じることができる生き物なので、よく思われる言動をいつもしていなければならないというのはとても窮屈で息苦しい感じがします。
見栄っ張りだと何が苦しいかの二つ目は、一度登った階段を降りれなくなるということです。
見栄を張って自分を少し大きく見せ、それが周りに認知されると、次もそんな自分かそれ以上の自分でいなければならないと心理的に感じます。
そして、等身大の自分やダメな自分をさらすとガッカリされたり今までの見栄がバレたりすると思い、いつも自分を大きく見せないといけなくなるのです。
だから、見栄を張ることは苦しいんですよね。
自分を大きく見せ得ているものが多いように感じるかもしれませんが、心は全然満足してないという状態です。
2.ダメな自分を認める
要は、見栄っ張りを辞めて等身大の自分で生きればいいわけです。
見栄っ張りを辞めるブレーキを外していく考え方は後述しますが、ここでは見栄っ張りを辞める上で一番何をどうしていったらよいかについて話をしていきます。
見栄っ張りを辞める上で一番コアになるところは、「ダメな自分を認める」ということです。
「認める」という表現がわかりにくい場合は「よく見せることを諦める」「ダメな自分であることを開き直る」と捉えてください。
もし、あなたが今までずっと見栄を張りながら生きてきたとしたら、それはずっとダメな自分を否定して隠して生きてきたということです。
そんな自分をさらしたら幻滅され、見下され、嫌われると思っているから本来の自分ではない自分以上の自分を演出するわけです。
そして、ここで考えて欲しいのは誰が一番、本来の自分に幻滅し見下し嫌っているかということです。
それは、紛れもなく自分自身です。
なぜかというと、そもそも人は他人のことをそれほど見ていないからです。
人のことにはそれほど興味がなく、人のことにはものすごい寛容なのです。
だから、あなたが本来の自分を見せたらガッカリされ嫌われるというのもあなたの中の妄想であり、一人相撲以外の何者でもありません。
自分が一番自分のことを嫌っていて、だからこそ、自分が自分のことを認めてしまえばそれで全ての話が終わります。
ダメな自分も自分だと認めてしまってください。
見る角度を変えると、今までずっと本来の自分を否定し見下し嫌ってきたわけです。
自分に対してとてもかわいそうなことをしてきました。
人目に触れないように誰の目も届かない牢屋に閉じ込めて、否定の言葉を自分にかけて来たということです。
そんなひどい扱いを自分にしているのに、幸せを感じたいとか心から満たされたいとかおかしな話です。
一番大事なことは自分が自分をどう扱うかということです。
それは、決して美味しいものを食べさせてあげるとか、今までしたことがない経験をさせてあげるということではありません。
日々、自分を否定して隠し続けているのか、自分を認めて本来の自分を表現しているかということです。
ぜひ、今まで自分に対してひどい扱いをしてきたと自覚しながら、これからは本当の意味で自分に優しく接してみてください。
誰が見下そうと否定しようと自分だけは本来の自分を否定しないし、一生付き合っていく。
そして、守っていく、そう決意して自分を他人に表現してみてください。
3.見栄っ張りのブレーキを外す
ここからは「見栄っ張りのブレーキを外す」ということで、見栄っ張りを色々な角度で見ていきます。
3-1.誰もあなたのことは見ていない
まず、「自分をよく見せよう」「自分のイメージを崩すわけにはいかない」と感じるとき、みんなは自分をこういう風に捉えていて、そのイメージを変えるとガッカリしたり下に見てきたりするかもしれないと思っているはずです。
つまり、みんなは自分のことをよく見ている、自分のことに関心があると想像しているわけです。
ですが、安心してください。
誰もあなたのことは対して見ていないし、特別、関心があるわけではありません。
人はみんな自分に一番関心があるわけです。
自分への関心に比べたら他人への関心は微々たるものです。
誰が何をしていても特別気にならないし、周りの人の変化に気づくこともありません。
だから、あなたが見栄を張って苦しい思いをしていようと、その見栄を辞めて楽に生きようと大した違いではなく、気づかない人も多いです。
3-2.等身大で得られるものだけ得る
そして、等身大で得られるものだけ得たらいいと捉え直してみるのも面白いです。
見栄を張って自分を大きく見せるということは、自分を大きく見せえることによってより大きな得を得ようとしているということです。
言葉を変えると「欲張り」だということです。
欲張りは悪いことではなく、個人的には欲張りな人は好きなのですが、欲張ってより多くの得を取ろうとすることによって苦しくなっています。
多くを求めてそれ以上のものを失って、結果的に損しているという感じです。
だから、「等身大の自分で得られるものだけ得る」と割り切ってみてください。
それが結果的に一番得られるものが多い気がします。
自分以上の自分にならなくても大丈夫。
自然体で幸せに暮らせる。
そんなことに気づけたらとても穏やかでとても幸せですよね。
目の前の評価やお金、一時の気分の良さのために、自分の幸せを犠牲にするのは勿体なさすぎます。
ぜひ、得られるものだけ得ればいい、と、割り切ってしまってください。
3-3.付き合う人を決める
最後に、付き合う人を決めるということも考えてみてください。
職業柄、いろんな方の悩みの相談を聞いていてよく思うのは「何でみんなと仲良くしたがるのかな」ということです。
目の前の人に嫌われてはいけないと思ったりこの人との関係をよくしなければいけないと無意識に感じたりしていることが多いです。
しかし、全員に好かれる必要はないし全員に好かれようとするということはとても息苦しいことです。
仲がいい人なんて2、3人でいいし、極端な話ゼロでも楽しく生きていけます。
言いたいことは、見栄を張らなければ関係を保てない間柄なら最初からいらないということです。
条件付きな気がしてしょうがないんですよね。
これを満たした人なら仲間に入れてあげるけど、その条件に満たないなら仲良くできないみたいな。
実にくだらないですよ。
そんな人間関係は実にくだらなくて時間の無駄だと思います。
そんな人達と頑張って薄い関係を作るぐらいなら、「ありのままの自分でいい」と言ってくれる人や面白がってくれる人と関係を作っていきたいものです。
そして、自分が見栄を張っていると相手がどういう人なのかわからないんですよね。
見栄を張っているから関係が作れている人なのか、見栄を張らないありのままの自分で付き合っていける人なのか、知ることができません。
ただの石と宝石が入り混じっている玉石混淆みたいな状態で、それを選別して大事な人を大事にするためにただの石の人には離れてもらったらいいと思います。
そういう意味で、見栄を張ること辞め人付き合いも整理していくことがとても自分の幸せにつながっていきます。
4.まとめ
今回は、「見栄っ張り」についてまとめました。
一番大事なことは「自分を自分が認める」ということです。
見栄を張ることや自分にウソをつくことは自分への否定です。
それは、見栄やウソがダメと言いたいわけではなく、自分への否定は生きることを苦しくするということです。
もっと言うと、自分を否定しながらどんなものが手に入っても、願いが何でも叶ったとしても決して満たされないし幸せにはなりません。
ぜひ、たくさんの得をしようと欲張るのではなく、自分自身で得られるものを得ながら「自分は自分で良かった」という温かい気持ちや安心を十分に感じてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
見栄っ張りの根底に承認欲求が張り付いていることは非常に多いので、承認欲求の仕組み!満たされない承認欲求はこうやって消えるも参考にしてみてください。