相手のためにと思って生きてきたけど本当にこれでいいのだろうか。
相手のためにやっているのに相手は自分勝手で報われている気がしない。
相手のことを考えない人を見るとイライラする。
「自己犠牲で生きてきたけど何か虚しい」
今回は、自己犠牲について説明していきます。
特に、日本では自分を犠牲にして他人のためというのがどこか美徳のように考えられているところがあります。
しかし、そんな美徳に従って自己犠牲をしてきたけど、なぜか満たされていかないという感覚はありませんか?
自己犠牲によって幸せになっていくのか。
また、どうしたら自分は幸せになれるのかについて説明していきます。
ぜひ、「自己犠牲」を捉え直して、自分を幸せにすることに一生懸命になってもらえたらと思います。
1.自己犠牲によって幸せは遠のく
まず、自己犠牲で相手を喜ばせると幸せになれるのかという話からしていきます。
結論から言うと、自己犠牲をしていると幸せを感じることはできません。
それはなぜかというと、自己犠牲をすると文字の通り「自分が犠牲になる」からです。
自分や自分の幸せを犠牲にしている時点で当たり前なのですが幸せにはつながっていきませんよね。
相手が喜ぶことが嬉しいという話も聞きます。
これは私も同感なのですが、自分が嬉しくて幸せを感じていられるという状態でいるためには条件があります。
それは、「自分の心地いい範囲でやる」ということです。
この範囲を越えて、自分を犠牲にしてしまったら、相手の喜びは嬉しさではなく「こんなにやってあげてるのに」という不満やどことない虚しさに変わります。
だから、自分を犠牲にしない心地よい範囲で相手と自分を満たしていったらいいということです。
2.優先順位の一位はあくまで自分
言葉を変えると、優先順位の一位はあくまで自分だと言うことです。
これは当たり前の話なのですが、我々は優先順位の一位を何かに譲ってしまうことが頻繁にあります。
社会でそれが良しとされているから、目の前の人が困っているから、自分が我慢すれば場が収まるから。
様々な理由によって、自分の順番を二位や三位に格下げしてしまいます。
さらに、自分の順位は何位と明確に示されるわけではないので、悪い言い方をすると簡単に自分を騙せてしまうのです。
自分の優先順位を一位にするとは、自分の気持ちに耳を傾け採用するということです。
「本当は嫌だ」「やりたくない」「面白そう!やってみたい」その言葉に耳を傾け、常識や当たり前、相手のためを退ける。
そうやって、自分の優先順位を一位に保った上で、相手にしてあげたいと思うことをしてみてください。
3.それでも自己犠牲をやめられない場合
ここまでの話を聞いて、自分の扱い方と他人とどう関わったらいいかが明確になった方はここで読むことをやめて構いません。
もし、そうは言ってもどうしても相手中心になってしまうと感じた方に、ここから相手中心になる心の仕組みを紐解きながら自分中心を取り戻していくための方法を説明していきます。
自分の心の中を紐解いていくときに、自分の”怖さ”に注目すると自分の心のカタチが見えていきます。
今回の場合だと、「自己犠牲を辞めて自分を優先すると何が怖いのか」ということを自分の心に聞いてみるということです。
この答えに当たる部分が、自己犠牲を辞める上でのブレーキであり、そして、自分だけの思い込み勘違いの部分です。
では、実際に質問の答えを考えて見てください。
- 相手のために何もしない自分だと自分に価値がなくなる
- 相手に嫌われそう
- 罪悪感が湧いてくる
他にも色々出てくると思います。
その怖さを味わうのが嫌だったりその現実を回避するために自己犠牲をしているということになります。
また、怖さとは別に人は現状を保ちたいという本能があるので、昔から自己犠牲をしてきたら引き続き自己犠牲をしている方が安心するという心理もあります。
4.自己犠牲をやめるブレーキを外す
では、この自己犠牲を辞める上でのブレーキを外す方法をそれぞれ紹介していきます。
4-1.怖さに飛び込む
まず、怖さについてですが先ほど少し触れた通り、実はこの怖さは勘違いによって成り立っています。
上記の例で言うと、
- 誰かの役に立てたから価値があり役にたてなかったら価値がないという考えが勘違いであり
- 相手の役に立たないと嫌われることもあるかもしれないけど嫌われないこともあるし
(そもそも、相手の役に立たないと嫌われる関係なら健全な人間関係とは言えません) - 相手の役に立たないことは罪や悪いことではない
怖さは勘違いによって出来上がっているのですが、この勘違いは自分にとって当たり前であり普段は疑うこともしないと思います。
だから、この機会に一度しっかり疑ってみてください。
上記の例以外に怖さが出てきた場合は、その怖さは勘違いによって成り立っています。
勘違いによって成り立っているとしたら、どういう勘違いをしているのかと考えてみてください。
そして、その勘違い明確になったら(明確にならなくても)、その怖さに飛び込んでみてください。
この怖さに飛び込むことによって、その怖さが必ずしても起きないことやそんな怖いことではなかったことに気づきます。
また、勘違いが勘違いだと認識できるのも怖さに飛び込んでみたタイミングです。
ぜひ、価値がないと思われることや嫌われることを引き受けながら自己犠牲を辞めてみてください。
また、そのアクションをした後に「そんな自分には価値がない」「悪いことをした」という感覚を変えていってみてください。
アクションをしたタイミングでこそ自分の感覚を切り替えていくことができます。
4-2.昔からの慣れを変える
次に、昔からしていることは引き続きした方が安心というブレーキについてです。
これは、心の仕組みとしてどうというより、我々は本能的にそう作られています。
人がまだ猿だった頃、現状を捨てて食べ物があるか獣に襲われるかわからないところに飛び込むより、昨日まで生きられた環境にいる方が生存確率が高いわけです。
だから、昨日まで生きられていたのであれば、そこに留まりたいという本能が我々の脳みそに組み込まれています。
しかし、今日、我々は変化を選ぶことで生命を脅かされることはありません。
だから、理性や意思の力で太古の昔にプログラムされた本能を越えて行くんですよね。
本能を越えていく方法は勇気しかありません。
逆に、変化を選ぶということはその本能に逆らうと言うことです。
それはとても大変な作業でとても労力と勇気が必要なことです。
だから、もし変化というアクションができたとしたら、その結果いかんに問わず全力で自分を褒め称えてあげてください。
地球上で一番大変なことをしたのだし、どんなに小さなことでもそれは偉業だし、その変化を選んでいけるのであればどこにでも行くことができます。
ぜひ、本能の仕組みを知った上で勇気を出して変化を選んでみてくださいね。
5.みんなが自己犠牲したらみんな不幸
最後に、視点を広げてみんなが自己犠牲したらどんな世界になるかという話をしていきます。
みんなが自分より他人のことを優先する、それは素敵な世界のように聞こえますが、みんながみんな自分を犠牲にして相手のことを優先したら、誰も幸せになりませんよね。
自分より相手が喜ぶことをする、でも、その相手も自分を犠牲にして誰かのためにする、その誰かも誰かのため。
人の優しさを受け取る人がいないということです。
全員が全員「お先にどうぞ」をやると、誰も先に一歩も進めないということです。
それを理解した上で、じゃあ、「先に行きますね」と自分が一歩を踏み出すと「お先にどうぞ」の人も先に一歩進むことができる。
配慮や優しさは人に気づかれないぐらいがちょうどいいです。
本当に相手のためを考えるのであれば、一見、自分勝手にも見える行動が相手の自由を広げることにもなる。
そう言った視点でも自己犠牲ということを今一度考えてみてください。
もしかしたら、「誰かのため」と本気で思っているわけではなく、批判されない保身がしたいのかもしれません。
保身は保身でいいのですが、そこから一歩飛び出すこともかっこいいと私は思います。
6.まとめ
今回は、自己犠牲についてまとめました。
「相手のため」というのは美徳として語られることが多いですが、今の社会それが行き過ぎているのかもしれません。
行き過ぎた結果、自分よりも相手を優先する結果になり幸せを感じない結果になっています。
自分を犠牲にしたらそれは幸せを感じませんよね。
ぜひ、優先順位の一位はあくまでも自分にしておきながら、周りの人を喜ばせて結果的に自分が嬉しくなるという循環を回してもらえたらと思います。
相手のために傾きすぎて自分の幸せがわからなくなっている時は、幸せの鍵は心を喜ばせること!心の声を聞く方法を参考にしてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。