クラスの中心グループに入れていない自分はイケていない。
イケてないグループだから大きな顔をしてはいけない。
あぁ、もっと人気があって面白ければな・・・
「スクールカースト」
最近の流行りの言葉なのかな。
前から知っていたけど、この前カウンセリングをした時にこの言葉を聞いて、
面白い単語だなと思ったので記事にすることにしました。
スクールカーストとはクラスでの人気の度合いをカースト制度になぞらって表現したもの。
そのカーストの中で上位か下位かで悩みになる。
正直なところ、スクールカーストなんて「くだらないな」とも思いますが、
人間関係における嫉妬や卑下にもつながるところがあると思うので、
なぜ、階級が気になるのかという心の仕組みにアプローチしたあとに、
スクールカーストや順位付けから抜け出し方を紹介していきます。
「カーストの上位に行かなければ」「下位な自分は下を向いてなければ」
そんなチンケな価値観を崩してしまいましょう。
1.スクールカーストなんてものはない
まず、「スクールカースト」や「人間的な上や下」なんてものはありません。
そういう言葉はあり、事実目の前の社会がそうであるかのように感じるかもしれませんが、
そんな制度や人に上下なんてないのです。
しかし、もしあなたが人気によって階級をつけたり人に上下を付け出すと、
そこに「スクールカースト」が生まれます。
「スクールカースト」なんてただの言葉であり、想像上のものなのです。
だから、自分と相手、グループ間に上下がないことを覚えておいてください。
その上で、その人とのコミュニケーションを個々に考えてみてください。
その人といることは心地よいのか、楽しいのか。
もし、居心地が悪く楽しくないのであれば、その人と付き合う必要はありません。
そんな居心地が悪い人間関係を選ばなくていいのです。
といっても、読まれているあなたが学生だったら人間関係を選びにくいのも確かかなと思います。
同じクラスで同じメンバーで集団行動をする。
人間関係を選びにくいかもしれません。
でも、それも高校くらいまでで、大学以降は自由に人間関係を選べます。
だから、人間関係は選んでいいのだ、そもそも選ぶものなのだということを覚えておいてください。
まとめると、スクールカーストなんて制度はありません。
人に上下なんてないのです。
その上で、あなたは誰と付き合いたいですか?ということです。
スクールカーストを盾に見下すコミュニケーションがあった時に不愉快だと感じたら、
付き合いたくない人とは距離をとったらいいのです。
2.なぜ階級が気になるのか
と、「スクールカースト」の捉え方の説明が長くなってしまいましたが、
それでも自分と相手との間に階級の差があるように感じて苦しく感じるかもしれません。
ここから、やっと心の説明に入っていきます。
まず、「なぜスクールカースト、階級が気になるのか」についてです。
それは、大きく二つの理由があります。
2-1.自分も他人も裁いているから
一つ目の理由は、人気があるかないかイケているかいないかで「自分も相手も裁いているから」です。
あの人には人気がないけど、自分はあの人よりは人気がある。
あの人はイケているけど、自分はイケていない。
そうやって、自分や相手を裁いて格付けすると、
「人より人気にならないいけない」と「人気がない自分はダメだ」という気持ちになっていきます。
自分と相手に○×をつけること、順位をつけることによって、
自分が○なのか×なのか、自分は何番なのかが気になっていくのです。
2-2.他人の評価で「自分」を決めているから
もう一つの理由は、「他人の評価で自分がどういう存在かを決めているから」です。
「他人からどう見られているのか」
よく思われている自分はオッケー、悪く見られている自分はダメ。
これは、一見すると当たり前のように感じるかもしれませんが、
見方を変えると「自分が自分でいいのか悪いのかの決定を他人に委ねてしまっている」と言い換えることができます。
この決定を他人に委ねてしまうと、
他人からどう思われているのか、カーストのどこにいるのかによって、
自分がどういう存在かが決まってしまうため、気になってしかたがなくなるのです。
3.スクールカーストから抜け出すには
では、どうしたらスクールカーストから抜け出せるのかについて説明します。
3-1.自分も他人も裁いている
まず、自分も相手も裁いている場合について、簡単な話「裁くのをやめる」「順位付けをやめる」ということです。
人は何があるからオッケー、何がないからダメ。
こういう性格だからダメ、最下位。
なんてことはないのです。
どんな自分でもオッケーだし、どんな相手でもオッケーなのです。
それを自分の価値観で○×をつけているだけです。
この○×付けにメリットがなく、
自分が×だと自分を責める理由になり、○であるようにいつも自分を縛り付ける息苦しいものです。
だから、○をつけるもの×をつけるのも辞めてみてください。
それは、自分に対してもそうだし、相手に対してもそうなのです。
どんな自分でもそれでいいのだ。
相手がどんな性格で何を考えていてもそれでいいのだ。
と、捉え直してみてください。
その上で、「その人と付き合いたいかどうか」です。
この「自分も○だし相手も○」という考えが定着してくると、
冒頭に書いたように「スクールカースト、くだらねぇーーー」という感覚になってくると思います。
3-2.他人の評価で「自分」を決めている
次に、他人の評価によって自分という存在を定義する場合について説明します。
自分という存在をどういう存在だと認識するのか、
自分がオッケーなのかダメなのかを決めるのは、自分だということを覚えておいてください。
「自分」を他人の意見や何かの結果によって決めなくていいのです。
他人がイケていると思うから、自分はイケているのだ。
他人から評価されているから、自分を認めていいのだ。
ということではありません。
自分のことぐらい自分で決めてください。
そこに「誰か」を介在させてなくていいのです。
他人から批判されようが、「自分はこれでいい」と決めていいし、
他人が持ち出すスクールカーストに関係なく、「自分はイケている」でいいし、
他人が自分のことが嫌いでも、自分は自分のことを大事にしていいし好きになっていいのです。
「自分」という存在を決める上で、それを誰かに委ねなくていいのです。
勝手に自分はこういう存在だと決めたら、いつの間にかそういう現実になっています。
「他人・結果→自分」という順番ではなく、「自分→他人・結果」ということです。
他人軸を自分軸に変えてしまえば、周りの目や評価なんて気にならなくなります。
ぜひ、「自分にオッケーを出すか否か」また「自分という存在をどう定義するか」は、
他人ではなく自分なのだと決めてしまってください。
そう決めた瞬間から、他人に取り込まれることなく適度な距離を取れるようになります。
4.嫉妬について
スクールカーストに関する考え方やスクールカーストから抜け出す方法は以上となります。
この章では、スクールカーストに関連して人気がある人への嫉妬について書いていこうと思います。
スクールカーストを意識しているということは、自分も人気者になりたいという気持ちや、
人気がない自分が悔しいという気持ちがあるのではないでしょうか?
この「嫉妬」「悔しさ」という気持ちを深ぼると、面白い気持ちを発見することができます。
その面白い気持ちとは「自分もそれくらいできるのに」という気持ちです。
人は、「自分でもできる」と思っていないところに嫉妬の感情は湧きません。
例えば、野球のイチローを見て嫉妬することはないと思います。
それは、「イチローくらいのことは出来る」と思っていないからです。
逆に、「あれぐらいできる」と思いながら、「あれぐらい」の結果を手にしていない場合、
その結果を手にしている人を見ると、嫉妬の感情が湧いてきます。
つまり、嫉妬するということは、自分も「あれぐらいできる」とどこかで思っているということなのです。
その気持ちを認めてみてください。
そして、その気持ちを認めたら、自分もあれぐらいできたテイで生きてみてください。
あれぐらいできたらどういう風に振舞うかを考えてみて、
その想像通りの振る舞いをしてみてください。
人気者が羨ましかったら、人気者のテイで生きるということです。
すると、ものすごく気持ちいいことがわかります。
本当は自分でもわかっているのです。
「あれぐらいはできる」「あれぐらいは人気がでる」
でも、その気持ちを押し込めて、「できない風に」「人気がない」風に装っている自分が悔しいのです。
そんな自分に腹が立つのです。
だから、自分の気持ちに従って振舞ってあげると、
心が「やっとわかってくれた」と安心し、気持ちよく感じます。
そう、あなたは本当はあれくらいできるじゃないですか?
だったら、隠してないで披露してみたらいいのですよ。
そう振舞って見たら、後から自分が想像している通り人気があったことやできることに気づきます。
まず、勇気を出して何の根拠もない今の状態から、人気者の風に、できるヤツ風に振舞ってみてください。
嫉妬の気持ちはいつの間にか消えます。
そして、「より太陽の近くを回って照らされたい」というスクールカーストが、
「元々自分が太陽だったことに気づく」という形によって崩れていきます。
誰に迎合することなく卑下することなく、その場所でただ輝いたらいいのですよ。
輝けることは他の誰でもなく、自分の心が一番わかっているじゃないですか。
5.まとめ
今回は、スクールカーストをテーマに、
人間関係の上下による苦しみから解放される方法を紹介しました。
そもそも人間関係に上下はないし、カーストなんて存在しません。
それを強いる人や環境なんて、早くそこから離れてしまったらいいのです。
自分はオッケーなんだ、自分は素敵なんだ、自分は素晴らしいんだ。
それは、カーストの上位にいることや誰かに認められることによって見出すのではなく、
自分で根拠なく決めてしまっていいのです。
ぜひ、自分を認めるのは自分だということを覚えておいてください。
また、疎外された悲しさを癒し疎外感から抜け出す方法も、
疎外感について別の切り口で書いてあるので読んでみてください。
新たな視点が発見できると思います。