誰といてもいつも一人きりだ。
私をわかってくれる人はいない。
大好きな彼と別れてしまって心に穴が開いたみたいだ。
「寂しい」という気持ちも、自分の大切な感情の中のひとつなので、
それ自体、消すものでもなく嫌うものでもありません。
しかし、寂しさにも二種類あります。
それは、誰かと別れた時やふとやってくる寂しさと、
自分が自分のそばから離れている寂しさです。
詳細は本文に譲りますが、
この自分が自分のそばから離れている寂しさは、
誰かにいてもらうことやしてもらうこと、何かを得ることでは埋まっていきません。
この記事では、この「自分が自分のそばから離れている寂しさ」と、
「自分が自分のそばにいる」というテーマを扱っていきます。
自分さえ自分のそばにいてあげたら、
寂しさが埋まるだけではなく、満たされた気持ちを感じること、幸せを大いに享受することにつながります。
「心のこと」において、最も大事なことと言っても過言ではないかもしれません。
ぜひ、自分が自分のそばにいる嬉しさや頼もしさ、
自分が自分を守ってくれる安心を感じてみてください。
1.なぜ寂しいのか、2つ寂しさ
それでは、冒頭で少し紹介した二種類の寂しさについて、説明していきます。
1-1.出来事や自然に湧き上がってくる寂しさ
誰かと別れたときや疎遠になったとき、また、ふと何気ない時に寂しさを感じることがあります。
大事だと思っている人と会えなくなったとき、それは寂しさを感じるでしょう。
そして、私自身あまり感じたことことはありませんが、
ふとした何気ない時にも寂しさは感じるものです。
こういった寂しさはぜひ、消そうとせず感じてみてください。
愛情をかければかける程、その人やものが大事になり、
それがなくなった時、悲しさや寂しさを感じます。
それは、逆に言うと、そこに自分の愛情があったということです。
私たちは、誰とも当たり障りなく生きることももちろんできると思います。
しかし、その当たり障りのないところから一歩踏み込んで愛情をかけ続けた。
それは、素敵なことで、かけがえのないものです。
今、その愛情の対象は自分の元からなくなってしまったかもしれませんが、
その一歩を越えて、愛情をかけることができるあなたはきっとまた新しい大事なものに出会えます。
だから、「寂しく感じている自分」や「愛情をかけてきた今まで」を、
捨てて切り捨ててしまうのではなく、ぜひ大事に抱きしめてもらえたらと思います。
1-2.自分が自分のそばにいないことによる寂しさ
そして、今回の記事のメインとなる「自分が自分のそばにいないことによる寂しさ」について。
自分が自分の本当の姿を嫌っていたり、
こんな自分はダメだと否定して責めていたり、
自分に対して諦めて拗ねていたりすると、
心に穴が開いたような寂しさを感じます。
この寂しさは、誰かにいてもらうことで埋まることはないし、
誰かの承認や愛情によって埋まることはありません。
埋まることはないけど、これをクレクレと求め、
もらっても「まだまだ」と更に求めさまよい、
何でお前は私を愛してくれないのか、と、
大事にしないんだ、と、
誰も分かってくれない、と相手にぶつけたりします。
でも、この寂しさを埋めるのは他人ではありません。
そもそもこの寂しさは「自分が自分から離れること」で生まれたものなので、
自分が自分のそばに戻ることでしか埋まらないのです。
「このやろーーー!!」とあなたが感じている目の前のその人は全く関係ないありません。
大いなる八つ当たりなのです。
以降では、この「自分が自分から離れることによる寂しさ」を埋める方法を解説していきます。
2.自分が自分のそばに戻り寂しさの穴を埋める方法
2-1.寂しさは感じればいい・寂しいときは寂しいと言う
先ほど、目の前の人にあたるのは大いなる八つ当たりと書きましたが、
「自分が寂しいと感じる気持ち」は紛れもなく本当の感情だと思います。
「湧いてきた感情はそのまま感じる」という大原則に則り、
この寂しいと感じる気持ちもそのまま感じてみてください。
そして、この寂しい思いをさせている相手に対して、
どういう言動をされて寂しかったのか伝えてみてください。
「自分が”そう”感じるから”そう”」
それでいいのです。
これは感じてはいけない。
こうあるべきだと自分の思いに蓋をしたり、歪めなくてもいいのです。
感じたように感じる。感じたように表現する。
それが、自分に寄り添っていく大きな第一歩です。
2-2.相手にして欲しいことを自分にする
次に、あなたが寂しいと感じるとき、何に寂しいと感じているのか、
相手にどうして欲しかったのかを少し考えてみてください。
相手がどうしてくれたら寂しくなかったのか。
- 自分の話を否定せずに聞いてくれる
- ちゃんと自分のことを見てくれる
- 自分に愛情を持って接してくれる
人に求めていることは実は人に求めていることではありません。
本当は、自分にそうして欲しいことなのです。
しかし、自分がそうしてくれないから、仕方なくその代わりとして誰かに求めているだけなのです。
相手に自分の話を否定せずに聞いて欲しいなら、自分が自分のことを肯定する。
相手にちゃんと自分のことを見て欲しいなら、自分がちゃんと自分の気持ちや感情をすくい取ってあげる。
相手に愛情を持って接して欲しいなら、自分が自分を一番に大事にしてあげる。
そうすることで、欲しい相手(=自分)から欲しいものをもらえるから満足していきます。
それが、自分のそばにいてあげる、自分を満たしてあげることにつながるのです。
2-3.自分のことを受け入れる
三つ目は「自分のことを受け入れる」です。
ここは、イメージしてもらった方がわかりやすいと思うので、
自分の中に、子どもの自分と大人な自分がいると想像してみてください。
子どもの自分は、無邪気で好き嫌いがはっきりしていてわがままな一方、
弱くて泣き虫な本能に近い自分です。
大人の自分は、冷静で常識的で損得の勘定ができる理性的な自分です。
この理性的な大人の自分が、本能に近い子どもの自分にこう言ったとします。
「無邪気に振る舞うのはダメだ」
「嫌いなものでも我慢しなさい」
「もう泣くんじゃない、強くありなさい」
「こうあるべき」という姿以外の自分を切り捨てて否定すると、子どもの自分は大変傷つきます。
わかってもらえない気持ちにもなるし、受け入れてくれていないように感じるし、
本来一番の味方でいてほしい大人の自分が一番の敵となってしまいます。
これでは、子どもの自分が寂しいと思うのも無理はありません。
だから、これからは切り捨ててきて否定してきた自分の一部を取り戻してみてください。
こんな自分では絶対ダメだ、これがあったら嫌われると感じ、
自分の中から消して変えてきた自分を、元の自分に戻してあげるということです。
だらしなくて、情けなくて、恥ずかしい、
そんな自分を受け入れて、ぜひ少しずつそんな自分を外に表現してみてください。
敵になってしまった自分がもう一度味方になったとき、
とても感動して、こんなに安心できるのかこんなに頼もしいのかという感覚を私も味わいました。
安らぎや温かい気持ち、安心感は他人が提供してくれるものの中にあるのではなく、
「自分自身」にあります。
ぜひ、捨てた自分を取り戻してみてください。
自己受容の具体的なやり方については、
自己受容を習慣化する方法を参考にしてみてください。
2-4.自ら一人になるのを辞める
「寂しい寂しい」と言いながら、自ら一人になっていることもよくあります。
- どうせ私のことなんてどうでもいいのでしょ
- 輪に入ってはしゃぐのは、なんかバカらしいから私はしない
- 誰も分かってくれないから誰からも認められるように、孤高の場所を自分は目指す
後述の「前提」のところにもつながりますが、
「自分はこうなんだ」「きっとみんなはこうなんでしょ」と決め付けて、
自分から一人になると、当然、寂しく感じます。
これを拗ね(すね)ているといいます。
本当は、仲間に入れてほしい。
本当は、みんなとはしゃぎたい
本当は、ただ私の話を聞いて欲しいだけ。
という「本当は」の部分は言わずに、なかったことにして、
傷つかない一人の道を選んだり、孤高の場所に行ってみんなに認めてもらおうとするのです。
しかし、そんな回りくどいことをするのではなく、
「本当は」の部分を素直に口に出してしまったら、「一人」も「孤高」も必要なくなります。
「私も仲間に入れて」
それが素直で、ただそれが言いたいだけなのです。
「どうせ」という拗ねを辞めて、柔らかくて恥ずかしい本音を伝えてみてください。
また、自立を目指したり、依存しないと決めたりすると「一人」になります。
「一人でやろうとすると一人になる」のです。
文字にすると当たり前ですが、我々は何でも自分でやることを教えられてきたので、
よく一人でやろうとします。
自分だけでやると、一人で完結してしまうので、ぜひ、誰かの助けを借りてみてください。
自分でできても嫌いなことならお願いして、
自分だけではできない自分のやりたいことを助けを借りながらやってみて、
何かあったら可能な範囲で手を借す。
あなたが誰かに手を貸したいように、誰かもあなたに手を貸したい。
そうやって、お互い様をしながら仲を深めていけたら最高ですよね。
2-5.自分という人の捉え方(前提)を変える
前述にもありましたが、
「どうせ私のことはどうでもいいんでしょ」と「私=どうでもいい人」と決めたり、
「私=受け入れられない人」「私=嫌われる人」と決めたりすると、
人は、その決めたことを無意識に証明しようとします。
「ほら私のことなんてどうでもいいのだ」
「やっぱり誰も受け入れくれない」
「ここでもやっぱり嫌われた」と。
この「自分はこういう人」という前提は、
過去の出来事によって、幼い頃の自分が勝手に決め込んだ思い込みです。
何の情報もなく、判断力も乏しい小さい頃の自分がただそう感じただけなのです。
それを今に至るまで大事に温めてきたのです。
自分にとって都合の悪い前提はこの際、捨ててしまってください。
「ただの思い込み」ですから。
「受け入れられない」「嫌われる」は真理ではありません。
真理は、「受け入れられないこともあるし、受け入れられることもある。
嫌われることもあるし、嫌われないこともある」です。
自分で決め込んでそこだけにフォーカスするのではなく、
自分という人の捉え方を疑ってみてください。
そして、もしかしたら、受け入れられる人かも、好かれる人かも、と、
どんどん幸せでお気楽な方向に寄せていってみてくださいね。
まとめ
いかがだったでしょうか?
要は、自分が自分の味方になっていつもそばにいてあげる、
自分が本来の子どもの頃の自分に戻っていく、ということです。
どんな自分も許して、自分を優先して、自分の気持ちに素直に感じて行動してみる。
すると、自分がいつも自分のそばにいてくれている感覚になっていきます。
そうなったら、自分の周りに誰がいるとかいないとか、
誰が何をしてくれるとかしてくれないとか、
そんなことはどうでも良くなってきます。
誰がいなくても、自分がいてくれるからです。
これ以上頼もしく、安心できるものはないのではないでしょうか。
もし、何をしても埋まらないような寂しさを感じているのであれば、
一度、自分が自分のそばにいてあげていられているかな、と考えてみてください。
自分が遠く離れてしまっているようであれば、ぜひそばに戻ってあげてください。
その参考にしていただけたら幸いです。
また、人間関係がうまくいかない場合は、
人間関係がうまくいかない理由と人間関係が楽になるシンプルな考え方も読んでみてください。