もし、今の人生が終わって、生まれ変わってまた違う人生が始まるのであれば、
生きる意味って何なのだろうか。
この人生の意味は一体何なのであろうか。
これは、昔、私が小さなころ、真剣に考えていた疑問でもあった。
そして、忘れもしない小学校3年生の9月1日。
その疑問を母親に聞いてみた。
すると、こんな言葉が返ってきた。
「いいから、早く学校に行きなさい」と。
後から考えてみると、私はきっと夏休みが終わって学校に行くのが嫌だっただけなのだろうな笑
あれから、20年以上の時間が経過した今、
「生きる意味」について、まとめてみようと思う。
そして、後半では「生きる意味がわからない」と閉塞感を感じている方に向けて、
心理カウンセラーとして、「生きる意味」についてアプローチしていきます。
1.生きる意味とは何か
では、ここから、生きる意味について考えていこうと思います。
ただ、考えるといっても、その結論は一行で終わる。
結論から言うと、「生きることに意味なんてない」
自分個人で見ても、人類という枠で見ても、
大きく、そこに生きる意味や生きなくてはいけない意味、
その目的なんてものは、探しても出てこない。
この地球上に、自分がいなくても人類がいなくても、
地球さえなくても、何がどうなるわけではない。
だから、生きることに特に意味なんてないのではなかろうか。
では、なぜ人は生きて、日々の生活を営んでいるのか。
それは、死ぬのが怖いからじゃないのかな。
個々人の楽しさや喜びっていうのを一旦脇においておくと、
人は、死ぬという選択肢を選びたくないから、生きているっていうところが、
生きることに意味がないけど生きている理由なのだと思う。
え!?暗い??
でも、俺個人はそんな風に人や世界を捉えていたりする。
ただ、そこに絶望感や空虚感は含まない。
大事なのは、ここからで、
では、生きることに意味がなく、生かされているから生きている我々は、
どう生きたらいいのかってこと。
どう生きるのか、
ここも一言で結論を書くと、「自己満足に生きたらいい」
「自己満足」というと、世間ではネガティブに捉えられがちだけど、
俺はものすごいいい言葉だし、いい指針だと思っている。
自己が満足する。それって最高じゃないか。
自分が満足することとは一体何なのか。
それを探して、その興味の方向に進んだら人は死ぬその時に満足して自分の人生を終われる。
その自己満足が、人によっては、
- 自分が好きな趣味に没頭することかもしれない
- 大切な何かを守り育むことかもしれない
- 世の中へ影響を与えることかもしれない
そのどれもが自己満足であり、何がよくて何が悪いかなんてことはない。
ただ、自分が満足することに時間と労力と気持ちを傾けて、
「自分の人生、最高だったわ」と大の字に横たわれたら、それ以上のものはないのじゃないかな。
2.枠にとらわれると、生きる意味も自分もわからなくなる
ここまで、生きる意味について書いてきたが、
イメージしてもらうとすぐにわかってもらえると思う。
要は、明日イケメンとのデートでワクワクしているときや、
デート中ドキドキしてものすごい楽しいときに、
「なぜ」デートしなければならないのかとは考えないと思う。
どうデートをすべきなのか、デートの目的はなんなのだろうか、なんてことはどうでもよく、
目の前の時間が楽しくて、これ以上なく大事なわけだ。
だから、この楽しくて面白い「デート」を自分の人生の中で見つけたらいいよね。
それが上で言っていた「自己満足」ということ。
そして、この自己満足を考える上で、
「枠」や「ルール」にとらわれると、一瞬にして自分を満足させてくれるものを見失う。
- 将来のために、今勉強していい大学いい会社に入る
- 会社に入ってからは評価が下がらないように言われた仕事に没頭して
- 家族や子どもは大事にすべきものだから大事にする
すると、考える軸が「自分」ではなく、「枠」や「ルール」に変わってしまっているため、
自分を満足してくれるものが何なのかわからなくなってしまう。
自分の生きる意味も見失ってしまう。
3.「生きる意味がわからない」思いを抱いているなら
もし、あなたが「生きる意味がわからない」と人生に、
つまらなさや絶望する気持ちを感じているのであれば、
この自分で作った「枠」や常識という「ルール」を破ってみたらいい。
従わなくてはならないことなんて何もなく、
自分が思うように、自分の興味の向く方向へ進んでいっていいことが分かったら、
そのつまらなさや、このまま人生が進んだところでといった絶望する気持ちが形を変える。
自由に楽しんだらいいよね。
そして、自由にやった結果、今考えている未来に戻ることもあると思う。
大学行って、会社員やって、家庭を持って子育てをして。
今、そんな未来に面白さがないと考えている未来を歩いていくのかもしれない。
でも、それしか選べないと思っていて選ぶ選択と、
それ以外も選べるんだけど、選ぶ選択では満足度というか豊かさが変わってくる。
それしか選べないと思って選んでいるというのは、
実際、選んでないのと同じでさ。
そこにある喜びや幸せも享受できなかったりする。
自由が豊かなんじゃなくて、
自由なものの中から「自分が選んだ」っていうのが豊かなんだろうね。
だから、ここでいう「自由」とは、ずっとどこかに放浪することではなく、
(放浪したかったらぜひしてもらったらいい)
「自分が実は何でも選べる状態にあることに気づく」ということ。
精神的な自由を意味している。
4.精神的に自由になる方法
では、精神的に自由になるには、どうすればいいか。
その方法を紹介していきます。
大原則は「自分のことは他人が教えてくれる」です。
他人を見ていると、自分が禁止していることや我慢していること、
自分の可能性がわかってきます。
4-1.自分が禁止・我慢していることを知る
自分が禁止・我慢していることは、
他人の嫌なところやイラっとするところを見ることによって分かっていきます。
他人の横柄な態度を見て、嫌な気持ちになるということは、
「本当は自分も横柄なのにそれを我慢している、それは隠さなければならないことなのに、
あいつはそれを表現している、なんてけしからん奴だ」と気持ちがざわつくということです。
他人に感じる「おかしい」と思うところが、
自分が禁止して、そんな自分じゃダメだと過去に捨ててしまった自分の一部です。
当時はそう教えられたかもしれないし、それが正しいと感じたかもしれませんが、
それが自分の人生を狭め、行き場のないつまらなさを感じるのであれば、
ぜひ、その捨てた一部を取り戻してみてください。
取り戻す方法は、その嫌な人・イラっとする人の真似をしてみるということです。
横柄に振舞ってみる。自分勝手な行動をしてみる。人に甘えてみる。
ここで念の為に付け加えておきたいのですが、
「横暴で俺様が自由なんだ」という自由を目指せと言っているのではなく、
自分が等身大の自分で生きること、そんな自由が許されていることに気づいたらいいということです。
小さくまとまっているからOK。
そうじゃない自分はダメだと制限するのではなく、
「自分がそう感じるんだからそう」で、それは元々認められていた。
なぁーーんで、あんなに我慢してたんだろうに気づいていくということです。
4-2.自分の可能性を知る
自分の可能性は、他人に対する嫉妬や羨ましさによって気づくことができます。
嫉妬や羨ましさを感じるとき、実は自分でも「あれくらいできる」と意識してるか否かに関わらず感じています。
イチローが羨ましくないのは、自分にそこまでの可能性を感じていないからで、
自分に可能性を感じている場合は、嫉妬や羨ましさを感じます。
(イチローが羨ましい方はすぐに野球を始めてください)
だから、嫉妬や羨ましさを感じる場合は、
その方向に自分も可能性を感じていて、もしかして興味があるのかも、と疑ってみてください。
そして、その方向にも進んでみてください。
※嫉妬・羨ましい気持ちについては下記を参考にしてみてください。
妬みの感情を抱く仕組みを理解すれば妬ましい気持ちは消えていく
その羨ましい他人の姿が、自分の未来なわけです。
きっと、望む自己満足ができる方向です。
5.まとめ・世界はもっと面白い
最後に世界はもっと面白いという話をして締めくくろうと思います。
私も大学生になるまで、いわゆる「いい子」で、
言われたことをやって、反抗期もないような子どもでした。
それまでずっと、そこに疑問はなかったのですが、
いつも、「これでいいのかな」「本当に自分のやりたいことはなんだろう」という思いを持っていました。
そして、あるとき、自分の人生を真剣に考えた時に、
「このままじゃきっと死ぬときに後悔する」と思い、
「大学を辞めて世界を回りたい」と親に話したことを覚えています。
結局、大学は4年で卒業して世界は回らなかったのですが、
(↑回らんかったんかぁーーい笑)
初めて、何かのレールから外れることができた、自分の人生を始められた出来事だと思っています。
そして、人生の主人公は自分だと自覚できた出来事でもありました。
今や、カウンセラーとして起業してレールからだいぶ外れすぎた感がありますが、
自分の気持ちというレールからは外れていません。
そうやって生きていると、世界が面白い。
自分が思ってもなかった声をかけてもらえたり、
誰に決められたからではなく、「自分が行きたい」ところに向けて試行錯誤ができたり、
そんな冒険をすることが今は楽しく面白がって生きています。
そこに意味なんてなくていいのだと思います。
ただただ自分が面白く感じて、満足する道を。
もし、生きる意味がわからないと、悶々としているのであれば、
「そんなものどうでもいいや」と投げ捨てて、新しいドアを開けてみてください。
きっと、面白い世界が広がっているし、
そこに疑問を持たない人より、面白い道を選んでいくんじゃないのか、と、
私自身、密かに面白がっています。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
「自分の存在価値や存在意義がわからない」に対する答えも参考にしてみてください。
お察しの通り「存在価値なんてそもそもない」という結論です。