なぜ恥ずかしい感情の捉え方を変えると楽に幸せになるのか

  • 2015年2月28日
  • 2020年5月17日
  • 自信
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恥ずかしい。

学校の先生に「お母さん」と言ってしまった。
大口を叩いてやってみた結果、何にもできない自分がいた。
自分という存在自体に恥ずかしさを感じる。

「恥ずかしい」にも色々な恥ずかしさがあると思います。
そして、この恥ずかしいという感情によって我々の思考や行動はかなり制限されています。

恥ずかしいから自分の意見を言うのやめよう。
恥ずかしい思いをしたくないから挑戦するのをやめよう。
自分の存在が恥ずかしいから隠しておこう。

今、息苦しいもの、素晴らしい自分や幸せを感じないのも、
もしかしたら恥ずかしい気持ちからブレーキをかけているからかもしれません。
逆に、恥ずかしいという気持ちを乗り越えたら、開放的に、素晴らしい自分で、幸せを感じながら生きられるようになる可能性が大いにあるのです。

ここでは、恥ずかしい気持ちとの付き合い方を説明し、恥ずかしい気持ちによるブレーキを外す方法を紹介します。
ぜひ、素晴らしい自分を認めながら、幸せに恥ずかしい生き方をしてもらえたらと思います。

1.恥ずかしいと感じる時

まず、人が恥ずかしいと感じるのはどんな時かということについて説明します。
人が恥ずかしいと感じる時は、「人と違うと感じた時」です。

人と好みが違ったとき、
みんなはしない失敗をしてしまったとき、
謙虚という美徳を飛び出して自分の素晴らしさを認めるとき、
そんなときに恥ずかしさを感じます。

あなたが最近恥ずかしいと感じたことは何だったでしょうか?
それは人とどんなところが違ったから恥ずかしかったのでしょうか?

また、自分の存在自体が恥ずかしいという気持ちも同様で、
自分の中に「普通」という概念が存在し、その「普通」と異なる自分は変であると認識し、恥ずかしさが湧いてくるのです。

2.恥ずかしさによる弊害

また、この恥ずかしいという気持ちは、我々が最も感じたくない気持ちの一つでもあります。

そのため、この恥ずかしさを感じないために、人と同じようになろうとするのです。
架空の「みんな」や「普通」を自分の中に作り、その枠に収まろうとします。

そして、枠に収まることによって、以下の弊害を被ることになります。

2-1.幸せや充足感が得られない

「普通」の枠に収まることで自分を失っていきます。
つまり、本来の自分とは異なる自分を演じることになり、本来の自分で生きていないということです。

すると、満たされた気持ちや幸せを感じられなくなります。
満たされた気持ちや幸せは、本来の自分でいることにより得られる感情だからです。
だから、本来の自分ではない「普通」の自分でいることによって、受け取れる幸せな気持ちも感じられなくなっていくのです。

また、自分の好きなことやしたいことがわからないというのも、
「普通」を優先しすぎて本来の自分が行方不明になっているということです。

2-2.自分の素晴らしさを受け取れない

枠に収まることで、素晴らしくありたいと思いながら素晴らしい自分にブレーキをかけることになります。

恥ずかしさを感じないために、良い方にも悪い方にも突出してはいけないと制御しているので、
素敵な自分、素晴らしい自分を受け入れることを無意識に拒否してしまいます。

本ブログのテーマでもある「楽に楽しく満たされながら生きる」には、「自分のダメさと素晴らしさ」を受け入れればいいのです。
しかし、自分のダメさを受け入れるには「傷つく」がブレーキとなり、素晴らしさを受け入れるには「恥ずかしい」がブレーキとなっています。

3.恥ずかしさとの付き合い方

では、そんな恥ずかしい感情とどう付き合えば良いのでしょうか?

3-1.恥ずかしさを受け入れる

上記の通り、恥ずかしさを避け続けるということは本来の自分を隠し続けるということです。
本来の自分で素晴らしさを認めながら幸せを感じるには、恥ずかしさを受け入れる必要があります。
もう、恥ずかしい自分として生きていくことを受け入れてみるのです。

人はそれぞれ違った考えや特徴を持っています。
そこに正誤や優劣があるわけではなく、ただ違いがあるだけなのです。

そして、みんな自分が大事だし、自分のことを大事にして欲しいのです。
それは恥ずかしがることではなく、ぜひその気持ちに気づき自分を大切にしてみてください。

3-2.過去の出来事を受け入れる

もしかしたら、小さい頃に「恥ずかしい子だね」等の言葉を親に言われ傷ついた経験があるかもしれません。
少し小さな頃のことを思い出してみてください。
「自分は変で恥ずかしい存在だ」とその経験を通して思い込んでしまった可能性があります。

その場合は、その頃の傷ついた自分を可愛がってあげてください。
傷ついて悲しんでいる自分を見つけてあげて、慰めてあげてください。
また、自分らしく一生懸命で楽しんでいた小さな頃の自分を愛くしんであげてください。

両親は「恥ずかしい」と感じたかもしれませんが、あなたが恥ずかしい存在ということではありません。
それは両親の感じ方であり、両親の世間体から来るものです。
それをあなたが真に受ける必要はないのです。

だから、「恥ずかしい」という言葉は両親に返してしまってください。
「あなたは恥ずかしいと感じたんだね、恥ずかしいを受け入れられる日が来るといいね」
と、両親に対してつぶやいてみてください。

3-3.視点を変える

恥ずかしいと人が感じているのをみて、「そんな恥ずかしいかな」と思ったことはありませんか?
それと同じで自分が恥ずかしいと感じているとき、周りは何とも思っていないことがよくあります。

恥ずかしいという気持ちが湧いてきた時に、もしこれが他の人だったらそんなに恥ずかしく思うか考えてみてください。
他人だったら恥ずかしくないかもと思ったら、もう水に流してしまいましょう。

また、他人を見ていて恥ずかしいと思ったことはありませんか?
それは、自分が恥ずかしくて禁止していることを、目の前の人がやっているときかもしれません。
そして、その恥ずかしい姿が、あなたが取り戻す本来の姿なのかもしれません。

3-4.勘違いしているのは相手

自分が素晴らしい存在だと認めるときに、ついてまわる言葉は「勘違い」です。
「勘違いだと思われたくない」という気持ちから自分の素晴らしさをひた隠しにするのです。

この勘違いについて、「勘違いに思われてもいい」と許可するのは一つの方法ですが、
もう一つ「勘違いしているのは相手だ」と考えてみてください。
「自分が素晴らしい」とあなたが勘違いしているのではなく、「あなたはそこまでではない」と相手が勘違いしているのです。

素晴らしいに根拠はいりません。
何ができてもできなくても、優しかろうが冷たかろうが、好かれようと嫌われようと、素晴らしいのです。

まずは、「素晴らしいことにする」と決めることから始めてみてください。
気づいたら、自分が素晴らしいと自然に思っています。

4.まとめ

今回は恥ずかしい気持ちとの付き合い方について説明しました。
実は、恥ずかしさによって多くのことに自分で制限をかけてしまっています。

恥ずかしさを受け入れることによって、
自分の素晴らしさや自分が本当に望んでいたこと、幸せが受け取れるようになります。

ぜひ、実践してもらい、素晴らしい自分や幸せを感じてみてください。

また、素晴らしさと一緒に自分のダメなところも受け入れてください。
自分に対する咎めが消えていき、楽に生きやすくなっていきます。
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