自分の気持ちが分からない。
何であんなことを言ってしまったのか分からない。
自分とは何者なのか分からない。
今回のテーマは「自分が分からない」です。
自分を見失って暗闇の中、自分を探していくことはとても苦しいことです。
さらに、自分の気持ちがわからなかったり気持ちに反する言動をしてしまったりしたらとても混乱すると思います。
この記事では、自分の気持ちをどうやって見つけていったらいいか、なぜ思ってもいないことを口走ってしまうのか、自分は何者かに対する答えなどを紹介していきます。
そんなに難しい話ではないので、肩の力を抜いて読みすすめていってください。
読み終わる頃には「なんだそんなことか」とわかってもらえます。
そして、実際にやってみることで腑に落としていってくださいね。
1.自分が分からない3つのパターン
まず、パターン分けをしていこうと思います。
このパターン分けはその人の性格上どうのという話ではなく、説明する上でわかりやすくするためのパターン分けです。
- 思春期の時期特有の自分の分からなさ(自分は何者なのかという疑問を含む)
- 自分の気持ちに反した言動を勝手にしてしまう自分の分からなさ
- 自分の気持ちが分からないという意味での自分の分からなさ
便宜上、上記3パターンに分けて説明していきます。
まず、自分がどのパターンなのか把握して、以降の説明の該当箇所を読んでもらえたらと思います。
まず、一つ目が思春期特有の「自分は何者なのか」「なぜ生まれてどう生きたらいいのか」という疑問が沸くパターンです。
これは思春期という期間を限定していますが、大きくなってもこの疑問の答えがでず悩んでいる方も含みます。
二つ目は自分は思ってもいないのに咄嗟に自分の気持ちと違う言動をしてしまうパターンです。
相手のことは好きで仲良くしたいのに憎まれ口を言ってしまったり、素直になれず関係が壊れたりする場合です。
三つ目は自分が何を感じ何を考えているか分からないパターンです。
自分のやりたいことや好きなこと、嫌いなことも分からず、人生が無味乾燥な感じがして充実感を得られない方がここに該当します。
どれか一つだけではなく複数該当することもあるので、以降で該当するところを読みすすめてもらえたらと思います。
2.思春期特有の自分の分からなさ
まず、思春期特有の自分の分からなさについてです。
自分は何者で、なぜ生まれどう生きるか、についてその答えが出ず悶々と悩むことがあると思います。
かくゆう私も「散々考えて悩んで答えは出ず」を30歳近くまで考えていました。
そして、出た答えは「答えは出ない」ということです。
「自分は何者か?」という質問について「何者でもない」というのが答えだと思っています。
それは、何者でもないことが厳しい現実だということではなく、自分は別に何者でもないし何者でもない自分でいいということです。
その上でもし何者かになりたいのだとしたら、何者かを目指したらいいと思います。
プロ野球で3冠取るとか、ビジネスやって稼ぎまくるとか、あの業界のドンと呼ばれるとか。
しかし、どこで何を成そうと何者かになったわけではなく、あいかわらず「何者でもない」ということに変わりはありません。
書いてて思いましたが、「何者」って何なんでしょうね笑
だから、悲観的な意味ではなく「自分は何者でもない」と結論を出してもいいし、「自分は何者か」という答えを探し続けてもいいですよね。
そして、ある時点で気づく気がします。
「自分は何者か」という問が自分の中で自然に消滅しているということに。
繰り返しますが、「決して凡人だった」「人と比較して特別な人ではなかった」「夢は叶わないのが現実」と言いたいわけではなく、何かが突出しても何かを成し遂げても夢が叶っても、それが自分の何者かという答えにはならないということです。
その上で何者かを探したらいいし、自分の人生で登りたい山を一つ決めてもいいという話です。
3.自分の気持ちに反した言動を勝手にしてしまう自分の分からなさ
本当は相手のことが好きなのに素っ気ないそぶりをしたり、本当は嬉しいのに咄嗟に憎まれ口を叩いたりすると自分が何をしているのか分からない気持ちになります。
本当は相手のことが好きならば好きな態度をしたらいいし、嬉しかったら嬉しいことを表現したらいいです。
当たり前のことを言ってますよね笑
そして、愛情がほしいならそのまま受け取ったらいい。
しかし、そうできない理由は自分が何かに拗ね(すね)ていたり、相手の優しさをバカにされているなどに変換したり、素直になることはダメだと感じているからです。
3-1.拗ねを辞める
まず、拗ねている場合に関して、過去に傷ついた出来事が起きた時に自分を守る意味で「どうせ○○なんでしょ」と拗ねることがあります。
「どうせ私はかわいくないんでしょ」「どうせ私はどうでもいいんでしょ」などが拗ねになります。
なぜ、拗ねるのかというと、自分を高いところに設定して否定されたらその落差によってとても傷つき痛い思いをしますが、「どうせ」と自分と相手に期待していなければ痛さが幾分和らぐ気がするからです。
しかし、拗ねていると相手からの優しさや愛情を素直に受け取ることができず、突っぱねたり拒否してしまったりします。
だから、拗ねを辞めたらいいです。
もう一度、拗ねていない素直な自分を取り戻します。
では、どうしたら拗ねをやめて素直な自分を取り戻すかというと、それは「拗ねをやめると決める」ということです。
「どうせ」と決めたのは自分なので拗ねを辞めると決めるのも自分だし、自分の意思で始めたことは自分の意思でやめることができます。
自分の意思でダイエットを始めようと思った、もう十分痩せたから今日からダイエットは辞める。
それと同じ感覚です。
また、拗ねを始めた出来事に対して、まだ強い怒りや恨みを持っていると拗ねがやめにくいので、もし過去の出来事についてジュクジュク傷が疼くなと感じたら過去の出来事によってできた心の傷を癒してみてください。
心の傷の癒し方は、心の傷の癒し方!隠れた本音をわかってあげるにまとめてあるので参考にしてください。
3-2.勝手に変換することをやめる
次に、自分が相手の優しさを勝手に変換することについて話していきます。
相手の優しさを「バカにしている」という風に感じたり相手の愛情からのアドバイスを「否定されている」と感じたりすることが私たちにはよく起こります。
相手の意図と自分の解釈が異なっているということです。
だからと言って、相手のしてくることを全て受け入れ相手の言った通りにするのも幸せじゃないし、自分の解釈が間違っていると自分を責めることも自分を苦しくしていきます。
では、どうしたらいいのかと言うと、「自分の気持ちは自分の気持ちとして大事にしながら相手の意図を知る」ということが大切です。
詳しく説明しますね。
例えば、相手の優しさをバカにしているんだと感じて怒りが湧いてきた場合。
この場合、「バカにされていてイラっとした気持ち」というのは自分の中で確かに発生した出来事です。
それを無かったことにせず、「なんかお前はできない奴とバカにされている気がして悲しかった」と言葉にします。
すると、相手から「いや、バカにされたつもりはなく良かれと思ってやったんだよ」というフィードバックをもらうことができます。
そして、そのフィードバックの通り「バカにされているわけではなく優しさだったんだ」と捉え直しをするのです。
そうやって、自分が勝手にしている”変換”の癖に気づくことができるしこの世界の真実の形を知ることができます。
ここでポイントとなるのが「○○と言われた気がした」と相手に伝えるということです。
怒りは怒りのまま伝えてもいいのですが、怒りだけを伝えると相手も怒りで返してくるので自分の変換の癖に気づく相手からのフィードバックをもらうことができません。
だから、怒りが湧いてきて怒った後に「○○と言われた気がして嫌だった」「こう扱われているみたいで悲しかった」と伝えてください。
すると、相手は自分の意図と違うところを修正することができます。
相手もまさか自分の優しさがそんな風に受け取られていると思いもしませんからね。
そして、ポイントの二つ目は、もしそのフィードバッグが自分が感じたものそのものだったとしたら(今回の例で言うと相手は自分をバカにするつもりでその言動を選んでいたらとしたら)、その人と付き合うことをやめましょう。
何が悲しくて自分をバカにする人や自分を大事に扱わない人と付き合うのか。
そんな人と付き合う必要はありませんからね。
ぜひ、自分の変換に気づいて修正してこの世界の優しさと愛情を一つ一つみつけていってください。
人は誰しもビックリするほど自分の価値観で変換しています。
3-3.素直になる
上の二つは素直になれない理由を説明しながらそのブレーキを外す方法について説明してきましたが、あまり小難しいことを考えずに「素直になる」ということです。
「ホントはこういう気持ちだったのに何であんなことを言ったんだろう」と感じるとき、「ホントは・・」と自分の本心がわかっているわけなので、その気持ちをそのまま素直に出してみたらいいということです。
もし、その場で素直になれなくても後から素直な気持ちを伝えたらいいです。
すでに紹介した拗ねや変換以外にも、負けた気がしたり傷つくのが怖かったりすることが素直になることを阻むかもしれません。
しかし、それでもその怖さを乗り越えていくんだということを覚えておいてください。
ぜひ、素直な自分で他人からの優しさを受け入れてみてください。
また、素直になるということはとても素晴らしいことなんですよね。
他人からの優しさと愛情を受け取ることができて、なぜか周りから可愛がられる。
人は本質的なところで、他人から愛されたいと思いながら生きているところも多いので、目の前の人から愛情を受け取らずに別のところに探しに行って別のところでも愛情を受け取らないみたいな愛情難民みたいにならなくていいと思います。
目の前に差し出されている愛情をただ受け取るだけでいいので、ぜひ素直になって受け取ってくださいね。
4.何を感じ何を考えているか明確にならない自分の分からなさ
最後は自分が何を感じて何を考えているか分からない場合です。
「どうしたいの?」「何が楽しいの?」と聞かれても自分の気持ちが見つからないことがあります。
カウンセリングでも聞かれることが多いです。
そもそもそこまで強いこだわりがない場合もあります。
私もそうで、何を食べたいか、何をしたいかと自分の心に聞いても特別強い思いがないことは非常に多いです。
目の前の些末なことはどうでもいいのでしょうね笑
といっても、人生で大事にしたいことは明確でテコでも動かない側面もあります。
この強いこだわりがない場合は、自分とはそういう人なので一切気にしなくていいです。
一方で、本当は自分の気持ちがあるのにそれが見つからないことがあります。
それは、自分の気持ちを抑圧することに慣れている場合です。
自分の気持ちを見つけても、「こうするべき」や「そんなことを考えてはいけない感じてはいけない」と自分の気持ちを封印し続けると、どうせ採用されない気持ちなら見つけてもしょうがないと脳が勝手に処理してしまうのです。
これはとても悲しいことですよね。
例えるなら、無邪気な子どもがあれがしたいこれが欲しいと言うのだけど、いつも親に無視されて、どうせ自分の話は聞いてくれないんだと諦め口をつぐむ感じです。
と言っても、この子どもが気持ちを失ったわけではなく、また、自分の気持ちがなくなってしまったわけではありません。
確かに感じて心は動いているのだけど、見つけることができなくなっているということです。
この見つけることができなくなったり見つけにくくなったりした心の声をどうやって聞くかは幸せの鍵は心を喜ばせること!心の声を聞く方法にまとめてあるので、少しでもここに該当するかなと感じた方は読んでみてください。
5.哲学的なことを考えたくなる時
「自分が分からない」という悩みを解消する方法は以上です。
ここでは、少し脱線しますが「自分とは何か」に代表される哲学的なことを考えたくなる時とはどういう時かを私の経験則から話していこうと思います。
私は、小学校3年生の時に「生きるとはどういうことなのか」を真剣に考えていました。
もし、来世があるのであれば今生きて何かを頑張って達成したとしてもいずれ死に、また次の人生が始まる。
その螺旋の中にいるのであれば今生きていることに一体どんな意味があるのであろう、と。
かなり真剣に考え答えが出なかったので、ある朝母親に聞いてみました。
なんで生きるのか、生きることに一体どんな意味があるのか。
すると母親にこんなことを言われました。
「そんなこといいから、さっさと学校に行きなさい」
そう、「生きるとは何か」に疑問を持ち憂鬱だったのは夏休みが終わる頃だったんですよね。
毎日楽しかった夏休みが終わって学校に行かなければならない、そんな時期だったのです。
そして、学校に行ったら行ったで楽しかったので、「生きるとは何か」を考えることはすぐになくなりました。
つまり、哲学的なことを考えているときは今を楽しめていないときなんだろうな、と。
そして、今考えてもあながち間違いじゃない気がします。
「生きるとは何か」「人生とは何か」「自分とは何か」
そこに真剣に向き合ってもいいのですが、「今を楽しんでる?」ということも自分に聞いてみてください。
「こうするべき」というルールや「大人だから」「人として」なんてものに縛られて、もしかしたら楽しむことができていないのかもしれません。
ぜひ、色々なしがらみを越えてただただ楽しんでもらえたらと思います。
なぜ生きてるってただ楽しむだけのために生きているんですから。
6.まとめ
今回は、「自分が分からない」というテーマについてまとめました。
- 思春期特有の自分の分からなさ
- 自分の気持ちに反した言動を勝手にしてしまう自分の分からなさ
- 何を感じ何を考えているか明確にならない自分の分からなさ
以上の3つのパターンに分けて説明しました。
どれか、または複数に該当するので自分が該当するところを見つけぜひ取り組んでみてください。
「自分とは何者か」については答えを出さなくていいし、素直でなかったり自分の気持ちを封印しすぎていたりするのであれば素直になり自分の気持ちを採用して楽しく毎日を過ごしたらいいです。
そうすると、「自分が分からない」と悩むことはいつの間にか消えています。
驚く程短時間で「自分がわからない」という言葉が頭に浮かんで来なくなります。
自分とは一体何なんでしょうね。
もしかしたらいつか答えは出るかもしれませんが、その答えが自然に出てくるまで楽しみにしておいてたらいいですよね。
というわけで、最後までお読みいただきありがとうございました。
自分とは何かその答えは見つけなくていいと言っておきながら、「自分探し」では見つからない本当の自分の見つけ方に見つけて受け入れておいたらいい「自分」についての話をしているので合わせて読んでみてください。