泣けない自分に許可を出すとなぜか泣けてくる不思議

  • 2019年1月18日
  • 2020年5月17日
  • 幸せ
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感動する映画を見ているはずなのに涙がでない。
悲しいと思っているのになぜか傍観している自分がいる。
そもそも感情を感じなくなってきた。

泣けない自分はおかしいのではないか。

というわけで、今回は「泣けない」というのをテーマを紐解きながら、
泣けない自分をどう捉えていったらいいのかという話をしていきます。

社会の中で生きていると、
こういう状態が当たり前、それ以外はおかしいと決めつけ、
いわゆる「正常」になるためにはどうすればいいかという情報が溢れています。

しかし、何が正しくて何が間違っているか、そんなものはこの世に存在しません。
大多数が正解で少数が異常、そういうことではないのです。

「泣けない」ということも同様で、
泣けることが正常で、泣けないことが異常なのではありません。
だから、泣けなくてもいいのです、そこに何の問題もありません。

そして、そんな泣けない自分や本来の自分を認めていくと、
自分の感じていることをダイレクトに感じられるようになり、
結果的に感動や共感を感じ、泣ける出来事も増えてきたりします。
(その頃には泣けることに重きを置いていないと思いますが)

その辺りの詳しい話は本文に記載しますが、
大事なことは今のこの自分を認めて受け入れていくことです。
それが、泣けることなんかよりももっと大事な心の平穏や満たされた気持ちにつながっていきます。

ぜひ、今の自分を受け入れて、
「自分はこれでよかった」という気持ちを大いに感じてみてください。

1.泣けないという事象の分類

泣けないと一口に言っても、
そもそも感情を感じていない場合と感情を感じているけど泣けない場合があります。

感情とは器用にコントロールできるものではなく、
悲しさや寂しさを感じたくないと思って、その気持ちを感じないようにしようとすると、
悲しさや寂しさだけでなく、喜びや楽しさも全体的に気持ちを感じなくなります。

感情とはそういう仕組みにできていて、一部の感情だけ制御することはできないのです。
もし、あなたが悲しさだけでなく喜びや楽しさも感じていないなと思うのであれば、
感情を全体的に感じなくしています。

我々は感情を味わい楽しむ(悲しさや寂しさも含めて)ために生きているので、
もし、感情を全体的に押さえつけている場合は、
「感情がない」をテーマにまとめた感情がない理由と無感情の状態から感情を取り戻す方法があるので、
リンク先を参考にしてください。

この記事では、感情は感じているが泣けない場合について説明をしていきます。

2.泣けなくてもいい

悲しい気持ちになった時や感動した時に自分は何で泣けないんだろうと考えるかもしれませんが、
前書きの通り泣く必要なんてありません。

涙が出ないから涙が出ないのであって、
それは自分がおかしいからでも心が冷たくて人の心がないわけでもありません。

だから、周りが感動して泣いているからといって、
自分も泣かなきゃと思う必要もないし、泣かなくてもいいのです。
「自分は”自分”でいい」ただそれだけです。

この「自分は自分でいいのだ」という感覚は自分の毎日を楽しく満たされたものにするので、
泣けるべき、泣けることは普通、という「こうするべき」や「普通」という概念を越えて、
自分の感覚や気持ちに委ねてみてください。

3.泣くことよりも大事なこと

また、泣けるという観点でも、
“自分”で生きることを始めると自然と泣けてくることが多くなります。

それは、「こうするべき」「普通」を第一優先にするのではなく、
“自分”という気持ちや感覚を第一優先にすることで自分の気持ちをダイレクトに感じられるからです。

そして、私自身も「自分でいいこと」に気づいたとき、
自分が自分の味方になれた頼もしさと安堵感から涙ぐみました。
自分でいられることはとても感動することなんですよね。
そして、他人の同じような場面に出くわすと、つい涙ぐんでしまいます。

そんな”自分”を取り戻しながら、自分で生きることによって泣ける場面も増えてきます。
感動することや泣けることとは、その相手の状況に共感できるかということです。

自分の人生での経験が増えて、
怖さを越えて勇気を出せた時、望んで作り上げてきたことが形になった時、
家族の安心感を存分に感じた時、
そんな自分の経験を無意識に相手に映して、当時の気持ちがこみ上げるとともに心が動いていきます。

昔、感動しなかったポイントが今は感動ポイントになっていることが個人的にもよくあります。
これからの人生で様々なことを経験する中で、感動ポイントが自然に増えていきます。

だから、泣けない自分や感動しない自分を変えていくのではなく、
感じることを感じるままにすることを自分に許しながら、
これから色々な出来事を経験するなかで共感するポイントが増えていくことを楽しみにしておきましょう。

4.私の経験

かくいう私も泣けるどころか、感動することが昔からありませんでした。
学生時代にアルマゲドンが流行って、泣ける映画だと聞いたから無理に泣こうとしたことを覚えています。
感動できない、泣けないのは人として魅力が欠けているのではないかと考えていたのです。

「こうなりたい」「これがいいだろう」と、本来の自分や自分の気持ちに反して、
理想の自分を作り上げようとした結果、自分ではない別人として生きていたのかもしれません。
心が少し置いてけぼりでした。

今は、自分として生き、自分として感じていますが、
元々、あまり感動しないというところは変わりません。
最近で言うと、ボヘミアンラブソディも全然感動しませんでした。
ネタバレのため詳しく言いませんが、あるポイントを見た瞬間に冷めてしまったんですよね。
それをボヘミアンラブソディに感動した友達に話したら、大いに盛り上がりました。

でも、アニメの四月は君の嘘を見た瞬間にボロ泣きです。
もう3回は見たと思いますが、毎回、毎話毎話泣けます。

人それぞれの感動ポイントがあって、人それぞれの感じ方がある。
それでいいし、その違いが面白いです。

5.まとめ

というわけで、今回は「泣けない」というテーマで記事をまとめました。
結論、泣けなくていいということです。

泣けない自分を無理に変えてしまうこと、無理に泣こうとすることは、
本来の自分から遠ざかり、心が満たされなくなります。
それだけでなく、自分の心から遠ざかることになるので、かえって心が動かなくなります。

そのままでいいのです。
元々の自分の性格があって、今までの自分の生い立ちや経験があって、
今感じることがある、今思うことがある。

その形を歪めることなく、「そう感じるのだからそう」「そう思うのだからそう」
そうやって自分とつながっていくことで、自分の心でこの世界を見ていくことができます。
それはとても穏やかで満たされた気持ちです。

ぜひ、泣ける泣けないということではなく、
今、自分が感じることや今したいことをそのまま感じてそのまま行動に移してみてください。
泣けるかどうかなど気にならないくらいの幸せをそこに感じてもらえます。

また、自分の性格を変えたいと感じている場合は、
「性格を変えたい」思い通りにならない現実から抜け出す方法を参考にしてください。