あの人と顔を合わせることを考えると妙に緊張する。
何を喋っていいかわからないし落ち着いていられない。
あの上から目線がどうしても受け入れられない。
「なんかあの人苦手なんだよなぁ」
今回のテーマは「苦手な人」です。
誰にでも一人や二人、苦手な人がいると思います。
もしかしたら、もっと多くの人数いるかもしれませんね。
私も苦手な人は多かったように感じます。
そして、苦手な人はどの人もだいたいタイプが似ているんですよね。
私の場合は上から目線の人がどうしても苦手でした。
しかし、今は苦手だったタイプの人に出会っても、特に何も感じることはありません。
苦手な人に対する印象は簡単に変えることができます。
この記事では、苦手だと感じる相手に対して苦手な気持ちを解消していく方法を紹介します。
また、苦手な気持ちを解消していくだけではなく、苦手を解消する過程であなた自身が今よりも生きやすく自由になっていくという苦手な気持ちを解消するより大きなものを手にできます。
言い方を変えると、「苦手な人」という存在は自分に生きやすく自由になる方向を示してくれています。
「苦手だなぁ」と感じるだけで終わらせてしまうのではなく、道しるべとしてその人から生きやすさと自由を学んでいきましょう。
1.みんな仲良しじゃなくてもいい
まず、最初に人との関わり方全般について話をしていきます。
冒頭で、苦手な気持ちを解消する、自由になる方向を学ぶという話をしましたが、こういう話をすると「苦手な人がいる自分はダメだ」「自由になれていない自分は未熟だ」みたいに自分を苦しくする考え方をする方がいます。
このサイトで紹介しているのは、「心のこと」を使って楽に幸せになっていこうということです。
だから、楽に幸せになるために「心のこと」を使うのであって、「心のこと」が正解だからそういう生き方をしましょうということではありません。
何が言いたいかというと苦手な人がいてもいいし、もっと言うとみんなと仲良くしなくていいということです。
苦手な人がいて嫌いな人がいて、生理的に受け付けない人がいる。
反対に、好きな人がいて心惹かれる人がいる。
それが自然だということです。
それを全て平に平等にして、誰も嫌いじゃないしみんな平等に大事な存在ですみたいな仏みたいにならなくていいのです。
今回のテーマから少し離れている気もしますが、これは見失いがちでとても大事なことです。
仏みたいな完成されたものを目指すのではなく、逆にデコもボコもある人間臭さに幸せがあるので好きなものは好き、嫌いなものは嫌いでいいわけです。
それが自然です。
だから、人間関係も自然でいてください。
「みんな仲良くしましょう」と幼稚園や小学校でそんなことを言われますが、みんな仲良くというのはとても不自然です。
自然と仲がよくなる人もいるしいつまでも距離が縮まらない人もいる、それが自然です。
だから、苦手な人がいる場合、自分を変えて苦手な気持ちをなんとかしようと考えるだけではなく、「苦手だから近寄らない」という選択肢も取ったらいいということです。
その一方で、苦手な人は自分を自由に幸せにする道しるべなので、自分のためにその道しるべを使うというだけの位置づけです。
2.苦手な人が示してくれているもの
では、具体的に苦手な人が気にならなくなる方法と苦手な人は道しるべとして何を示してくれているのかを説明します。
苦手な人が気にならなくなる方法と苦手な人を通して幸せになっていく方法は同じなので、以下の説明では苦手な人が幸せへの道筋をどう示してくれているかということをメインに話していきますね。
苦手な人が示してくれているものは、以下の二つです。
- 捨ててきた”自分”
- 過去の未消化の感情
詳しく見ていきましょう。
2-1.捨ててきた”自分”
まず、捨ててきた”自分”について、私たちの元々の性格はだいたい3歳までに決まります。
そして、それ以降は周りで起きた出来事から学習して自分の性格を変えていきます。
例えば、私の場合、小さな頃に電話を取ってぶっきらぼうな言葉を言い電話を切りました。
それを見ていた両親に「そんなぶっきらぼうな言い方はよくない」と言われ、人には愛想よくしなければいけないと考え、そこでぶっきらぼうな”自分”を捨てました。
また、冒頭にも話として出した上から目線についても、父親がとても上から目線で嫌な思いをしました。
そこで、私は「上から目線はよくない」と父親を反面教師として捉え、上から目線の”自分”を捨てました。
こうやって、今に至る様々な経験の中で、自分がより豊かに幸せに生活できるように自分の性格を取捨選択するのですが、「こうするべき」「こうあるべき」を多く持ち自分の性格を捨てれば捨てる私たちは心が満たされなくなっていきます。
それは、いくら他人から愛されたとしても、愛されているのは本来の自分ではなく”作られた自分”であり、自分の本来の性格を捨てるということは自分自身がとても強く本来の自分を否定しているからです。
だから、より豊かに幸せに生活できるように自分の一部を捨ててきたわけですが、皮肉なことに豊かに幸せになる鍵はその捨ててきた”自分”を取り戻すことにあるのです。
そして、自分が何を捨ててきたかを示してくれるのが苦手な人だということです。
苦手な人のどこが苦手か、その苦手なところがあなたが捨ててきた”自分”です。
自分はこれがダメだと思って必死に自分の性格を変えてきたのに、なんで目の前のことには平気な顔してそんな性格を持っているんだという「羨ましさ」や「それじゃ誰かに嫌われたり怒られたりするよという怖さ」を感じ、「何か苦手」という感情が湧いてきます。
だから、苦手な人は自分が幸せになるための鍵である「捨ててきた”自分”」を示してくれているのです。
そして、その捨ててきた”自分”を取り戻すことで幸せを感じ心が満たされていくということです。
2-2.過去の未消化の感情
次に苦手な人が示してくれているのは、「過去の未消化の感情」です。
小さな頃に嫌な事があった時に、相手がわかってくれるかどうかは別として「嫌だ」と言えたり泣き叫ぶことができたりしたら、私たちの感情は自然に消化されていきます。
逆に、嫌なことがあっても「嫌だと言ってはいけない」と我慢したり「泣くなと言われているから泣いてはいけない」と感情をこらえると、それは未消化の感情として心のしこりのように残ることがあるのです。
この未消化の感情や心のしこりがあると、以降の人生で未消化の感情を抱くような出来事が繰り返し起きたり、当時言いたかったことが言えるような状況が何度も起きたりします。
正確には、あらゆる出来事は日々起きていて、未消化の感情が湧いてくる出来事に感情が反応しすぎて他の出来事が起きても絡み取られてしまっていたり楽しめていなかったりするのです。
例えると、イカが強烈に嫌いなあなたが回転寿司屋に来たとします。
当然、回転しているお皿の中にイカは含まれているのですが、嫌いならお皿を取らずにスルーすればいいだけの話です。
しかし、このイカ嫌いすぎるため強烈にイカにフォーカスし気づいたら手に取り「うわー、イカ大嫌い、なんでイカなんてものが存在するのか」とそのイカとにらめっこをしながら嫌な気分を感じます。
そうしているうちに、また別のイカが回ってきてスルーせずに思わずイカの皿を手にとってしまう。
すると、目の前には嫌いなイカが二つ。
これを繰り返すと、自分のテーブルの上には嫌いなイカばっかり並んでいる状態になっています。
未消化の感情や心のしこりがあると、このスルーすればいい嫌な出来事に強くフォーカスして、あたかもこの世の中が嫌な出来事ばかりのように感じます。
この世には楽しい出来事も幸せな出来事も起きているにも関わらずです。
寿司屋に回転しているのはイカだけではなく、大好きなマグロもヒラメも回っているのにです。
苦手な人が教えてくれるのは、「そこに未消化の感情があるのではないか?」ということです。
嫌なイカばかりテーブルの前にあるのは、「昔イカをのどに詰まらせた時に感じたイカへの怒りをなかったことにしているのではないか?」ということです。
この嫌な出来事に執着させる未消化の感情や心のしこりを消化させてしまえば、嫌な出来事は嫌な出来事としてスルーしながら楽しいことや幸せな出来事も味わえるようになります。
3.苦手な人から楽に幸せになる方法を学ぶ
上記で、自分が苦手だと感じる人は「捨ててきた”自分”」「未消化の感情」という二つの方向性で自分が幸せになる方向を示してくれているという話をしました。
ここでは、具体的にどうしたら「捨ててきた”自分”を取り戻せるのか」「未消化の感情を消化できるのか」について説明していきます。
3-1.捨ててきた”自分”を取り戻す
まず、捨ててきた自分を取り戻す方法についてですが、これは極めて簡単です。
苦手な人のどこが苦手か考えてみて、その苦手なところを真似するということです。
自分が禁止して捨てたところに対して苦手だなと感じるわけだから、苦手なところをそのまま真似して取り戻すということです。
先の私の例で「愛想良くない人」や「上から目線の人」に対して、私は苦手意識を持っていました。
だから、私の場合、愛想をよくしないこと、上から目線で人と接することをやってみるということです。
そして、やってみたらわかるのですが、無愛想も上から目線も自分にしっくりくるんですよね。
元々捨てた自分の一部なので、それが戻ってくるととても馴染む感覚を覚えます。
そして、「自分は自分で元々良かったんだ」「違う自分になろうとして遠くまできたけどずっとそのまんまの自分で良かったんだな」という気持ちが心の中で広がり、安心した気持ちに包まれます。
この心のベースに「自分は自分でいい」という感覚や安心感があると、この世界はとても穏やかで落ち着いていられます。
ぜひ、苦手な人の真似をして捨てた自分を取り戻してみてください。
3-2.未消化の感情を消化する
次に未消化の感情を紹介する方法を紹介します。
まず、苦手な人を見たときに誰と似ているかを考えてみてください。
両親や兄弟あたりになることが多いです。
そして、その苦手な相手に何でも言っていいとしたらどんなことを言ってやりたいですか?
少し考えてみてください。
さらに、その言ってやりたいことを両親や兄弟に昔言いたかったことはありますか?
その出来事は思い出せますか?
もし、その出来事が思い出せたら、その出来事のときにその言いたかったことを言えなかったことが未消化の感情として今も残り続けている可能性が高いです。
逆に、特にそんな出来事も思いつかないし言ってやりたいという強い思いもないという場合は、「未消化の感情は特にない」としてしまっていいです。
こういう話をすると、必ずそういう出来事を見つけなければと躍起になる方がいるのですが、心当たりがなかったり思い出せなかったりしたら「未消化の感情はない」ということです。
思い出せない自分がダメだとか、思い出すことを避ける自分がいると勝手に複雑にする必要はありません。
シンプルに行きましょう。
話を戻しますね。
そのしこりが残っている出来事の際に、言いたかったことを見つめてみてください。
言いたかった言葉に対して「私はホントはそんなことが言いたかったのかぁ」と気持ちを巡らし眺めてみてください。
それだけで、未消化の感情や心のしこりは成仏していきます。
そして、もし、今生活していて苦手な人が嫌なことをしてきたら、当時言いたかったことを言ってみてください。
- それ嫌だからやめてください
- もっと私のことを大事に扱ってください
- そう言われるとバカにされているようで嫌な気持ちがします
その一言を言いたくて、テーブルの上にイカを集めているところがあるんですよね。
だから、逆に、その一言が言えた瞬間に嫌いな人や嫌な扱いを集めるという自分の悪趣味を手放すことができます。
カウンセリングの現場でもこの言葉が言えるだけで世界が一変することはよくあります。
「なんで今まであんな状況で我慢してたんですかね?」自分の現状が不思議になってきたら、もう悩みは解消しているようなものです。
ぜひ、言いたかったけど言葉を飲み込んでずっとしこりとして残っている言葉を見つけてあげてください。
そして、機会があったらその言葉を相手にそっと伝えてみてください。
「その一言を言う」という呪縛から離れ、自分の幸せを選択できるようになります。
4.まとめ
今回は、「苦手な人」について説明しました。
苦手な人と無理に関わる必要はないし苦手な人は苦手でいいのですが、苦手な人はあなたに楽に幸せな生き方をするための方向性を示してくれています。
そして、その方向性は自分一人でいると気づかないものです。
だから、苦手な人を見ることによって、今まで捨ててきた”自分”やあの時置き去りにしてきてしまった”自分の気持ち”を取り戻して、本来のあなたらしさを取り戻してください。
「自分らしさ」というと素敵なものに感じるかもしれませんが、あの苦手な人のような嫌な部分がある自分も紛れもなく”自分”です。
ぜひ、清濁合わせて自分を取り戻してもらえたらと思います。
そして、そうやって苦手な人を通して”自分”を取り戻していくと、苦手な人が特別苦手でもなくなっていきます。
自分がやっていることを人がやっても気にならない感覚になっていきます。
苦手な人がいなくなることはそれはそれで生きやすいので、苦手な人を少なくするという意味でも実践してみてくださいね。
過去の心のしこりが解消して本来の自分を取り戻すと、心の底から満たされた気持ちがしてきます。
心の底から自分が応援されているような暖かさを感じることができます。
ぜひ、”過去”を終わらせ”自分”を取り戻してみてください。
また、苦手な人と関連して、比較して苦しくなるから苦手と感じたり自分の劣等感が疼くから苦手だと感じる場合は、自然と気にならなくなる心の根本へのアプローチを参考にしてください。