気が付くといつも会話に参加していない自分がいる。
自分がいないところで誰かが盛り上がっているとモヤモヤする。
人と楽しそうにしていないと人目が気になる。
私っていつも話の輪に入れてないなぁ。
今回は「話の輪に入れない」について話していこうと思います。
カウンセラーとして相談に乗る中で人の輪に入れないという悩みは意外なほど多いです。
その度に人の輪になんて入れなくていいのにと思うのですが、本人はそういうわけにはいかないみたいです。
ですが、「人の輪の中に入らなければいけない」と執着することにより悩みはずっと悩みのままです。
だから、「人の輪に入らなくてもいいや」というところが悩みの出口になるわけですが、「人の輪に入れなくてもいいや」と思えない心理的な理由がそのブレーキになります。
その心理的な理由を明らかにしながら、「人の輪に入らなくてもいいや」と思えないブレーキを外していきます。
ぜひ、人の輪に入る入らないことに心を囚われるのではなく、もっと自由に人間関係や毎日を楽しんでもらえたらと思います。
1.実は話の輪に入りたいわけじゃない
まず、最初に気づいてほしいことがあるのですが、「人の輪に入りたい」と感じる時、本当はその輪に入りたいと思っているわけではないということです。
「人の輪に入ってその人達と会話したい」と思っているわけではなく、人の輪に入ることによって得られる何かがあるから人の輪に入りたいと感じているということです。
得られる何かとは具体的に
- 受け入れて認めてもらえてる感覚を味わいたい
- 孤独感や疎外感を味わいたくない
- 輪に入れない人だと見られなくて済む
など、人それぞれあると思います。
この得られる目的があるから人の輪に入りたいと感じるのではないでしょうか?
逆に言うと、受け入れられている感覚があって孤独感や疎外感がなくて人目も気にならなくて楽しい時間を過ごせているのであれば、人の輪に入らなくてもいいですよね。
というより、興味のないドラマの話をしてどうでもいい芸能人の不倫の話をしてという会話に入らない方が気疲れもせず好都合ではないでしょうか?
だから、本当は自分は人の輪に入れないのではなく、入りたくないと思っているということです。
本当は人の輪に入りたくないけど、メリットを得てデメリットを回避するために人の輪に入ろうと思っているということです。
2.話の輪に入らなくていい
そんなメリット・デメリットなんて打算的にことを考えてはいけないということを言いたかったわけではなく(打算的なこともいいですよね)、本当は人の輪に入りたくないと考えているのだから「人の輪に入らない」という方向に舵を切ったらいいということです。
それは、意固地になって一人になるということではなく、自然体でいながら無理に人の輪に入ろうとしないしそれで何の違和感もないというスタンスでいるということです。
そして自然と輪の中に入っているときはそれはそれで構わないという感じです。
実際、話や人の輪の中に入っているかどうかはどうでもよくて、人の輪に入っているかどうかをチェックしている人はいません。
誰も気にしてないのに輪の中に入っているかどうか気にしている自分がいるだけなんですよね。
もっと言うと、つまらない会話に参加せず受け入れられている感覚があり疎外感がなく、楽しい気分でいられたら一石二鳥というかとてもお得ですよね。
だから、方向性として「どうやって輪の中に入るか」「コミュニケーションが苦手な自分をどう変えるか」ということではなく、「どうしたら輪の中に居なくても気にならないか、楽しくいられるか」を考えてもらえたらと思います。
3.話の輪に入らないことを拒むブレーキを外す
といっても、話の輪に入らないでいいやとすんなり割り切れないと思います。
それは、前述した通り輪に入ることに目的があるからです。
「受け入れほしい」「疎外感を味わいたくない」「人目が気になる」という目的を達成するため話の輪に入りたいし、逆にこの目的が話の輪に入らなくていいやと割り切る上でのブレーキになります。
だから、このブレーキを外してしまえば、気持ちの上では「輪に入りたいけどな」と後ろ髪を引かれる思いはするものの、「輪に入らなくていいや」という方向に舵を切ることができます。
そして、「受け入れほしい」「孤独感や疎外感を味わいたくない」「人目が気になる」といくつか例を挙げましたが、実は「受け入れられている」感覚があれば孤独感や疎外感もないし人目もそこまで気になりません。
だから、自分の中で受け入れられている感覚だけ育てていけば、話の輪に入れないという悩みは解消します。
3-1.誰に受け入れてほしいのか
では、どうしたら受け入れられている実感を得ることができるのかについてここから解説していきます。
そもそも、「受け入れられる」という言葉を使うとき無意識に「相手に」受け入れられることを想像すると思います。
相手に受け入れてもらえたら自分は受け入れられている実感が湧くと。
しかし、相手に受け入れられていても「受け入れられている実感」は湧きません。
例えば、今目の前の相手に受け入れられていると感じることができたとして、そのことに満足して自分の中に受け入れられている実感を今後もずっと感じていけるかと言ったらそんなことはありません。
別の人に受け入れられることを求めたり受け入れてくれた人に見放されないように怖さが出たりするのです。
要は「自分は受け入れられている」という漠然とした安心感を心のベースに作るのは他人ではないということです。
では、誰に受け入れられたら受け入れられている感覚が作られるのかというと、「自分に」受け入れられたとき、「自分が」自分を受け入れたときに「受け入れられている感覚は育まれます。
そう、誰かに自分を受け入れてほしいと思いながら、本当は自分に受け入れてもらいたいんですよね。
自分に受け入れてもらえないからこそ、その代わりとして誰かに受け入れてほしいと思っているということです。
だから、本命の自分が自分を受け入れてしまえば受け入れられている実感はするし、誰に受け入れられる必要もないことに気づきます。
3-2.自分を受け入れる方法
ということで、自分が自分を受け入れればいいのですが、どうやって自分を受け入れたらいいのかという話をここでしていきます。
3-2-1.自分の嫌っているところを知る
自分を受け入れるという話ですが、自分の何を受け入れるのかが分からないと受け入れようがありません。
ですから、まず、自分が何を受け入れていないのか、言葉を変えると何をずっと嫌って捨ててきたのかを知る必要があります。
一度、人の輪に入ることで何を得ようとしてきたのか、人の輪に入れないことでどんな自分が露呈するのが嫌なのかについて考えてみてください。
- 人気を得たい
- 楽しい時間を得たい
- 安心を得たい
- つまらない自分がバレるのが嫌だ
- コミュニケーションが苦手なのが嫌だ
- 陰キャに思われるのが嫌だ
何かを得たいということはその何かが自分の手元にないと思っているということであり、そして、そのない状態を嫌っているということです。
だから、上記の例で受け入れる部分は「人気がない自分」「楽しくない時間」「不安感」ということになります。
露呈するのが嫌な部分については、そのまま受け入れる部分になります。
「つまらない自分」「コミュニケーションが苦手な自分」「陰キャな自分」です。
ここを受け入れたら「誰かに受け入れてほしい」という気持ちが落ち着き人の輪に入っていないことが気にならなくなります。
また、これは不思議なのですが、「ない」部分を受け入れることで「すでにあった」ことに気づくこともあります。
- 元々人気があった
- 人の輪に入っていないのに楽しい
- 何がなくても安心だ
- 意外と面白い自分がいる
- 昔はうまく話せなかったけど今は楽しく話している自分がいる
- 最近、陽キャだと言われた
「頑張って手に入れようとしていたものを諦め受け入れた瞬間に手に入る」という何ともいけずな感じなのですが、この世界はそういう仕組みになっています。
3-2-2.開き直る
少し脱線しましたが、嫌っている自分を受け入れる方法に戻ります。
自分のどこを嫌っているか特定できたら、実際に受け入れていきます。
どうやって受け入れるかというと「開き直る」ということです。
「人気がないのは嫌だったけどもうこれが自分だ、しょうがない」
「コミュニケーション色々試行錯誤してきたけど、もういいか」
そんな風に今まで手に入れようとしてきたものや避けてきたものを「しょうがない」「もういいか」と開き直って諦めて手放すということです。
人それぞれハマる表現があるので、「受け入れる」「開き直る」「諦める」「手放す」というニュアンスの言葉でしっくりくるものを選んで自分に語り掛けてください。
そして、開き直って「もういいか」と思うとともに、実際に取りに行くのもやめてもらえたらと思います。
「人の輪に入ろうとしない」「人と話してても盛り上げようとしない」など、今までやってきたことを辞めるイメージです。
そうすると、簡単に「人気がなくていいや」「コミュニケーション能力なんていらないや」と腑に落ちます。
4.他人の輪より自分の輪
以上が、人の輪に入らないと決める上でのブレーキとその外し方になります。
人の輪に入れるか入れないかが大事なのではなく、人の輪に入れないことで湧く感情や苦しさが自分にとって大きな問題なのでそこさえ解消してしまえば、人の輪に入るかどうかは別に大した問題ではなくなります。
そして、私が「人の輪に入れない」という言葉を聞くとき違和感を覚えます。
その違和感とは、「人の輪に入りたい入りたい」と言うけど「自分の輪はどうしたのかな」ということです。
私は生まれてこのかた人の輪に入りたいと思ったことはありません、いや何回かはあったかもしれませんけど笑
人の輪に入れるかどうかよりも自分の輪を大事にしてほしいと思うんですよね。
世界の中心は誰なのかというとまぎれもなく自分です。
人の輪に入る入らないということに執着しているということは世界の中心を自分ではない他人に据えているということです。
その輪に受け入れてもらえている自分はオッケーで受け入れてもらえない自分はダメ。
そんな小さくつまらない見方で自分を見なくてもいいですよね。
小さな価値観に自分を押し込んで狭い見方で自分を見る、それで苦しくなるんです。
そんな小さな括りで自分を縛らなくていいです。
もっと大きくにいきましょう。
人の輪に入れないからなんだっていうんですか。
そんな小さな輪に大きな自分は収まらないというだけの話です。
これは別に慰めでも視点を変えていこうという話でもなく、ほんとにそうなんですよね。
誰かの輪、誰かの話に従うかどうかなんてとてつもなく小さい話です。
自分をそんな小さな人間扱いしたらあかん。
そんな小さい人絶対つまらないですし(個人の見解です笑)。
ほんと、もっと大きくいきましょう。
私が人の輪に入れないと話を聞くときの率直な感想です。
人の輪にどう入るのかではなく、自分が居心地のいい輪をどうやって作っていくか。
誰と話していると楽しいのか、誰と付き合っていると心地いいのか、そんな自分の輪だけ作っていってください。
それが誰かにとって羨ましい輪になっていたりしますよね、ま、誰に羨ましく思われなくてもいいんですが。
そんなことを考えながら毎日を過ごしてもらえたらと思います。
5.まとめ
今回は「人の輪に入れない」というテーマで話をしました。
本当の望みは話の輪に入ることではなく、別の目的がある。
その目的を手放していくことによって、自然と人の輪に入らなくてもいいかと悩みが悩みでなくなります。
悩みの解消の仕方は現状を変えることではなく、「受け入れる」ということです。
受け入れるとは卑屈になるわけではなく、カラっとそんなことどうでもいいと開き直るということです。
話の輪に入らないことを受け入れ開き直ることで、別に輪に入れないことがどうでもいいことだと気づくことができます。
また、個人的に私が伝えたいことは「他人の輪より自分の輪」ということです。
人の輪に入れないなんて小さい小さい。
自分はもっと大きな存在なのでもっと大きく構えていきましょう。
あなたが心地よい輪を作りながらあなたの輪でみんなを楽しませてあげてください。
いつの間にか輪の中心で楽しくやっている自分に気づくと思います。
また、心を許せる友達の作り方、コミュニケーションが苦手な理由にコミュニケーションを楽にする秘訣を書いているので、コミュニケーションをただただ楽しいものに変えてみてくださいね。