人と話していると頭が真っ白になって慌てる。
うまい返答が見つからずに会話がぎこちなくなる。
面白いことが言えず盛り上げることができない自分に凹む。
「もしかしたら、自分はコミュ障かもしれない」
この記事ではコミュニケーションにまつわる勘違いを紐解きながら、
コミュニケーションをもっと楽に楽しいものにする考え方を紹介しています。
人と話すことなんて実はとっても適当でいい加減で楽しいものです。
ただ、本文で紹介するような勘違いが多く強い程、苦しく大変なものに変わっていきます。
ぜひ、コミュニケーションを大変にする「勘違い」を確認して、
楽で楽しい考え方をインストールしてみてください。
今まで苦しかったものが楽しいものにどんどん変わっていきます。
1.コミュニケーション能力なんてなくていい
これから、「コミュ障」をテーマに書いていくわけですが、「コミュ障」という言葉は個人的に好きではありません。
これは、「コミュ障」に限らず「○○障害」「社会不適合者」「メンヘラ」など、
ただの状態を「ダメなこと」だと煽るような表現が好きではないです。
そして、その言葉によって、「自分はダメなんだ、何とかしなければ」と問題を作り出すようで不毛だなと感じます。
まず、覚えておいてほしいのは、これらは「ただの言葉」だということです。
「ただの言葉」に自分を当てはめて、「自分はダメだ、何とかしなければ」と思わなくていいということです。
人と話して言葉が出てこない、動揺して変な汗をかいてしまう。
ただ、それだけのことで、だからと言って「自分はダメだ」と自分を責めないでみてください。
別に、コミュニケーション能力なんてどうでもいいのです。
うまく喋ろうが喋らなかろうがそんなことはどっちでもよく、
自分が楽しいのか楽しくないのかの方がよっぽど大事です。
その事を覚えておいてください。
そして、以降の文章はそこに気づいてもらうためのものです。
「コミュケーション能力」なんて諦めてくださいね笑
2.コミュニケーションを難しくする勘違い
ここでは、コミュニケーションに含まれる勘違いについて紹介します。
そして、次の章でこの勘違いを紐解いていきます。
2-1.他人にどう思われるかが大事
人と話しているとき、「この人にどう思われているのだろう」
「変に思われていないか」「バカだと思われていないか」と他人の目を気にしていると思います。
気にしていなければ、きっとこの記事は読んでいないはず。
逆に言うと、他人にどう思われているかが大事だと思い込んでいるのだと思います。
この「他人にどう思われるかは大事なことだ」という部分が勘違いです。
2-2.コミュニケーション能力が低い自分には価値がない
もしかしたら、コミュニケーション能力が低い自分には価値がないと思っているかもしれません。
面白いことを言うこと、はっきり堂々と受け答えすること、気の利いたことを言うことに価値をおいていると、
そうできない自分には価値がないのではないかと疑うこともあるのではないでしょうか?
これも人と話すことを大変でつまらなくする勘違いです。
2-3.過去の出来ごとは自分がそういう人だから
過去にいじめられた出来ごとや、
自分が入っていって場が盛り下がった出来ごとを通して、
自分はそういう人なんだと思い込むことがあります。
すると、どんなに相手があなたに好意持っていても、どんなに場が盛り上がっていても、
「自分は嫌われている」「自分はやっかいものだ」と決めつけます。
2-4.隠さないといけない部分がある
人と話をする上で、「自分には隠さないといけないところがある」と感じていると、
コミュニケーションが複雑なものになります。
隠さないといけないところとは具体的に
- つまらない自分
- 魅力のない自分
- 自信のない自分
といったところです。
それを隠そう隠そう、気づかれないようにしようしようと思うと頭の中が忙しくなり複雑になっていきます。
2-5.会話に正解がある
「会話には正解がある」という考えも同様です。
「この言葉にはどう返したらいいのか」「何て言ったらいいのか」と考えているということは、
「正解を探している」ということであり、「会話には正解がある」と感じているということです。
2-6.ちゃんと受け答えしなきゃ
「ちゃんとした受け答えをしなきゃいけない」
「適当なことを行ってはいけない」
「相手の気分を害してはいけない」
そう思っていると、どんどん自分が萎縮していきます。
萎縮してもいいのですが、そんなに真面目にしなきゃなんてことはありません。
3.今までの価値観の捉え直しをする
次に、上記の考え方を捉え直していきます。
といっても、今から紹介する捉え方は今までのものと違うため、すぐに納得できるものではないかもしれません。
しかし、今までコミュニケーションで悩んできたのは、今までの考え方をしてきたからです。
納得できなくても、そういうものなんだなと捉えてみてください。
3-1.他人にどう思われるかが大事
「人にどう思われているのか」より「自分がどうしたいのか」の方が大事です。
自分がやりたいようにやった結果、人からよく思われなくても、それはどうでもいいのです。
だから、しゃべりたくなければ黙っていていいということです。
しゃべりたくなったら、空気を読まずにしゃべればいい。
求められる回答もする必要もなく、聞きたくないことを無理に聞こうとしなくていいのです。
もっと言うと、他人は見たいように自分のことを見ます。
だから、他人からどう思われるかをコントロールしようとしても、そんなことはできないのです。
コントロールできないのであれば、自分が楽しい・居心地がいいと思うようにやってみたらいいということです。
そして、自分が楽しいを見つけるために、
「人からどう思われるかな?」という自分に対する問を「自分はどうしたいのかな?」に変えてみてください。
他人基準ではなく自分基準を取り戻していく大事な質問なので、
事あるごとに自分に聞いてみてください。
3-2.コミュニケーション能力が低い自分には価値がない
人は、自分の価値を何かで計ることがよくあります。
それが仕事の出来であったり、自信の有無であったり、コミュニケーション能力であったりします。
しかし、そんな基準では自分の価値を計ることなんてできないのです。
能力や結果ではない価値、そんなものでは計れない価値が自分にはあります。
そう言われて実感がわかないと思います。
見えないものを信じる、根拠のないことを信じるみたいで。
逆に言ったら、「見えないものを信じてみて」「根拠がないけどそう思ってみて」ということです。
目に見えない幽霊を信じるみたいなノリです。
「なんかいる気がする」「気配がする」
そんな感じで、「なんか自分に価値がある気がする」「理由も根拠もないけどそんな気がする」
それでいいということです。
能力でも結果でもない価値が自分という「存在」にあるとした瞬間に、
それを体感するような出来ごとを目の当たりにします。
だから、自分の価値をコミュニケーション能力なんかで計らなくていいということを覚えておいてください。
その能力と自分に価値は紐づいていないということです。
逆に言うと、コミュニケーション能力が上がったからと言って、残念ながら自分の価値も上がりません。
能力の有無=自分の価値を信じるのではなく、
自分の存在への価値を信じる方が、生きやすくとても楽な気持ちになります。
3-3.過去の出来ごとは自分がそういう人だから
過去に起こった出来ごとと自分の人間性・運命とは一切関係ありません。
自分だからいじめられたわけではなく、
自分がいたから盛り下がったわけではなく、
自分だから嫌われたわけではないのです。
その出来ごとは「たまたま」だったのです。
もう一度言います、その出来事は「たまたま」でした。
人は「たまたま」起きた出来ごとを法則化しようとします。
特に、強く落ち込んだ出来ごとに対しては法則を求めやすいのです。
「自分は嫌われる」や「自分がいると盛り下がる」などの法則は、
「たまたま」の出来ごとに法則を求めて、自分が設定したに過ぎないということです。
この設定を変えてみてください。
「自分は何もしなくても受け入れられている」「みんな、自分としゃべりたがっている」など。
すると、嫌われているから頑張らなければならなかったコミュニケーションが、
どうせ好かれているから自由にできるコミュニケーションに変わります。
この設定の部分はとても大事なところで、この設定通りに世の中は動いていくので、
自分の設定を自分の都合のいいように変えてみてください。
そう思えなかったとしても、「そういう設定!!」としてしまうということです。
もう、あなたは受け入れられているし、それ以上何をする必要もありません。
好きにやってみてくださいね。
3-4.隠さないといけない部分がある
つまらない自分や魅力のない自分、自信のない自分を隠さなければと思っているかもしれませんが、
これも隠さなくてもいいものです。
というより、すでにバレています。
あなたがつまらないことも、無理にテンションをあげていることも、
自分に自信がなかったり、よく見られようとしていることも、
すでにバレているのです。
バレている上で、相手はあなたとずっと付き合ってくれているわけです。
だから、安心して「隠したい自分」を見せていってみてください。
もうバレてるんだと肩の力を抜いてみてください。
それでも問題ないし、それでもあなたは受け入れられているのです。
3-5.会話に正解がある
会話に正解なんてありません。
それは、会話だけではなく、この世界に正解なんてないのです。
だから、自分が思うこと・自分の考えを表現してみてください。
正解がない世界で、みんな「自分のカタチ」を持って生きています。
それがあっているか間違っているかという話ではなく、
自分も「自分のカタチ」を持っていいということです。
いびつな自分が「自分だけのいびつなカタチ」を持っていいのです。
正解を探し、その正解通りにするのではなく、自分のカタチが”そう”なら”そう”でいいということです。
ぜひ、覚えておいてください。
また、「自分には意見がない」という相談もよく聞きますが、
「意見がないのではなく、興味がないだけ」ということも覚えておいてください。
無理に「自分の意見」を作るのではなく、「興味がない」から「興味がない」でいいのです。
興味のあることは、無意識にやっているし、
語り尽くせないくらいの意見を持っているので安心してください。
3-6.ちゃんと受け答えしなきゃ
最後に、「ちゃんと受け答えしなきゃ」についてですが、
これを言うと元も子もないかもしれませんが、人は他人のことにあまり関心がありません。
何に関心があるかというと、自分のことにものすごく関心があります。
だから、あなたが何をしてようが、何を言おうが対して興味もないし覚えてさえいないのです。
- 自分が思っていることを言えて気持ちよかった
- 場を盛り上げることができた自分、サイコー!!
- おっ!笑っている!!今おもしろいこと言えた
それぐらいしか、人は思っていません。
というか、私はそうとしか思っていません笑
だから、ちゃんとするだけ無駄というか、徒労に終わるというか。
もっと気楽でもっと適当でいいということです。
適当に「はいはい」と言っていいし、
「知らない」「興味ない」「へぇーなるほど」「ふーん、そうなんだ」
そんなものでいいということです。
4.嫌われてもいい
コミュニケーションを難しくする勘違いとその捉え直しについては、以上になります。
本当は何でもいいのですよ。
それを「勘違い」によって、ややこしくするのを辞めてみてください。
そして、嫌われることにも許可を出してみてください。
結局、「コミュ障じゃないか?直したい」という考えには、
「嫌われる」という損をしたくない思いがあるのだと思います。
逆に言うと、「嫌われてもいいか」と覚悟してしまうと、
無理に頑張る必要がなかったことに気づきます。
そして、「嫌われてもいい」と思うときに覚えておいて欲しいことは、
他人に嫌われても、自分に対しては「優しい言葉」をかけて欲しいということです。
人に嫌われたときに、「自分はなんてダメなんだ」「こんな自分なんていなくなればいい」と、
自分を責めることはとても辛いことです。
逆に言うと、この辛さを味わいたくないがために、コミュ障を何とかしたいのではないでしょうか?
で、あるならば、先に「自分のことは責めない」「自分にはこれ以上ないくらい優しくする」と決めてしまったらいいということです。
そう決めても嫌われた時の痛さはありますが、
「自分は自分だからそれでいいのだよ」「私は嫌わないから」と自分に言葉をかけてあげたら、
その痛さが驚く程変わってきます。
本当は、外の世界はあまり関係ありません。
外の世界は「『自分』へ語りかける言葉」の「刺激」でしかないのです。
周りが自分のことを責めたとき、その言葉が刺激となって、
自分に対しても責めるような言葉を自分に浴びせかけます。
だから、人から責められたくないし、嫌われたくないのです。
ただ、自分は自分に対して優しいことばをかけてあげると決めておけば、
人から何かを言われても、自分を責めるトリガーにはならないということです。
「自分は責めない」「自分には優しくする」
そう決めておくだけで、ものすごく平穏でとても楽です。
ぜひ、自分へは優しい言葉をかけることを決めてしまってみてください。
5.まとめ
今回は、コミュニケーションを簡単にする6つの考え方を紹介しました。
冒頭でも触れた通り、世間の言う「コミュ障」でもいいということです。
そんなことよりも自分が楽しいことをしたり、居心地のいい場にいたりしたらいいということです。
私も「人との会話」を試行錯誤した時期があったのですが、
結果的に改善もする必要なかったし、どうこうしなくて良かったのだという結論にいたりました。
好き放題しゃべりまくったら楽しいので、私は好き放題しゃべっています。
その結果、それでもいいと言ってくれる人しか周りにいないので、
とてもありがたく好き放題しゃべっています。
何をしゃべってもいいし、しゃべらなくてもいいし、そういう場に行かなくてもいい。
とにかく、「自分」が楽しい・居心地がいいことをしてもらえたらと思います。
「人付き合いが苦手」が明日から激変する方法に、
人との付き合い方について本記事とは異なる角度で書いてあるので参考にしてみてください。