死にたい気持ちとは何なのか!息苦しい檻から飛び出す方法

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死にたい花はないのかも息苦しくて生きていることが辛い。
仕事や勉強ができなくて居場所がない。
いじめられたりバカにされたりして生きている意味がわからない。

「あー、死にたいなぁ」

今回のテーマは「死にたい」という気持ちについてです。
生きていて楽しいことがなく、辛いことばかりだと感じるかもしれません。

そんなときは全て投げ出して、死にたいと感じるかもしれません。
死んだら今の苦しみを味わうことなく楽になれるのではないか、と。
その死にたいという気持ちも自分の気持ちとして、大事に感じて欲しいと思います。

詳しくは本文で書きますが、自分の感じることはそのまま感じたらいいし、
自分の思うことはそのまま思っていていいのです。

そして、その上で楽に楽しく生きていったらいいのではないか思います。
それは決して、気持ちの持ちようで明るく生きてくださいということでは一切なく、
なんで苦しいのかその原因を知って、
そこから飛び出ることによって人生はいかようにでも変わっていくということです。

今、苦しくてすべてを投げ出して死にたいと感じているかもしれません。
しかし、それは今後一生続くわけではありません。
今、この瞬間から楽に生きるスタンスを作っていくことができます。

耐える、克服する、努力するという頑張りではなく、
人と違いながら自分の人生を自分のルールで生きるという勇気を出してみてください。

人生なんて遊びです。
面白おかしく自分の人生を作っていってもらえたらと思います。

1.死にたいと思ってもいい

まず、初めに伝えたいことは、死にたいと思ってもいいということです。
自分の内側から湧いてくる感情は否定せず、そのまま認めて上げてください。

苦しいんだから苦しいでいいし、楽になりたいんだから楽になりたいでいいし、
死にたいから死にたいでいいのです。
それを死にたいと感じることはダメだと自分の気持ちに蓋をしないでくださいね。

「死にたいと感じることはダメだ」「死んではいけない」と周りが言うのは、
周りがざわざわした気持ちになりたくないからです。
人の死に直面したり死に関する発言を耳にしたりして、悲しさや不安を感じたくないからです。

だから、人は「死んではいけない」と言うし、
「死にたい」と思ってはいけないと言うわけです。

しかし、その悲しく不安になりたくないというのはその人の管轄の話です。
そして、死にたいと感じるか否かは自分の管轄の話です。

悲しくなりたくないからと言って、他人の言動を変えるというのは自分の管轄の範囲を越えています。
自分が自由にしていい範囲以外のことをコントロールしているということです。

逆に、人を悲しませるから死にたいと感じてはいけないと自分を抑えることは、
自分の管轄に相手を踏み込ませているということです。
この境界線があいまいだと生きることはとても苦しくなるのです。

自分のことは自分の管轄、相手のことは相手の管轄になります。
自分が何をするか何をしないか、何を感じ考えるかは自分の自由です。
そして、それを見て悲しく感じることや、その悲しさを受け入れ乗り越えていくは相手の仕事です。

勝手に相手の管轄のことをおもんぱかって、自分の自由を制限しないでくださいね。
それは、ものすごく息苦しいことですからね。

だから、「死にたい」と感じるときはただ「死にたい」という気持ちを感じたらいいのです。
それは悪いことでも、ダメなことでもありません。
ぜひ、一度、苦しさや死にたいという気持ちを思いっきり感じてみてください。

2.苦しいなら逃げる

また、苦しい状況から逃げるということも覚えておいてください。
学校でいじめを受けていたり、会社でパワハラをされていたり、
家庭でモラハラを受けていたり、その環境が辛いのであれば逃げてもいいのです。

「逃げ」というとネガティブな印象があるかもしれませが、
ただ、自分の生きる場所を選択するだけの話です。

その場所や人間関係に適応できるように頑張らなくてはという話ではなく、
自分がどこにいるか、どんな人間と付き合っていくか、というのは自分で選択するものです。

日本の高校教育まではこの辺りが特異で、
クラスを勝手に決められ、その決められた人とほとんどの授業を一緒に受けます。
そう言った環境ではその人間関係をうまくやることが正解のような気がしてくるかもしれません。

しかし、その暗黙の正解のようなものに縛られる必要はなく、
学校に行かない選択、会社を選ぶ選択、働かない選択、家を出る選択、
児童相談所に相談する選択、誰と付き合うかという選択、
すべての選択を自分が自分の気持ちに従ってしていいのです。

これを「今いる場所でうまくやらなければならない」と決め付けると、
いじめであっても理不尽な上司の言葉であっても身勝手な旦那の暴力であっても耐え続けることになります。

人生とはそんなものではありません。
何かをうまくやることやみんなと同じであることに意味なんてありません。

自分を大事にする選択をし、自分を満たして幸せにしていくことが人生です。
もし、今、辛い環境に身を置いているとしたら、
周りにどう思われるかということを越えて、逃げるという選択をしてみてください。

自分に非がある、相手にも事情があるなんてことは考慮にも値しません。
自分が苦しいのかどうか、その場にいたいのかいたくないのか、その気持ちに従って自分を大切にしていいのです。

3.なぜ毎日が息苦しいのか

次に、今、特に苦しい環境にいるわけじゃないけど、
物悲しく息苦しくて死にたいと感じている場合について話をしていきます。

苦しく辛い環境ではないけれど、息苦しいと感じることは意外と多いものです。
逆にこんなに恵まれているのにと頭では感じるけれど、閉塞感や絶望感を抱くこともあります。

これは、環境的には恵まれているかもしれないけれど、
生きることにとても窮屈さを感じているのです。
自由なはずなのに窮屈だということです。

なぜ、こんなことが起きるかというと、自分で自分の自由を縛っているからです。
「ちゃんとすべき」「人に自分のダメなところは見せられない」「冷たい奴に思われたくない」
自分に課しているルールが多ければ多い程、自分が自由にできる空間を狭めることになります。

こっちには行ってはいけないという柵を自分で用意して、
気がついたら八方全て柵で囲まれているような感じです。
見方を変えると自分で作った柵という牢獄に閉じ込められているということです。

これでは、この世界を自由に楽しむことはできず、
極めて狭い空間で生きるという息苦しさを感じるのは当たり前です。

あなたが当たり前のように自分に課しているルールは何ですか?

  • 愛想よくしなければいけない
  • いい子でなくてはいけない
  • 人に嫌われてはいけない
  • 空気を読まなくてはいけない
  • 働かなくてはいけない勉強しなくてはいけない
  • 家事、育児をしなければいけない
  • 人のために何かしなければいけない
  • 期待には応えなければいけない
  • 人を傷つけてはいけない
  • バカに思われてはいけない
  • 成長しなくてはいけない
  • 急がなくてはいけない

本来、大草原を自由に駆け回れるはずなのに、
そんな一つ一つのルールによって狭く息苦しい檻に閉じ込められている感覚になるのです。

だから、自分に課しているルールを一つずつ見つけて、そのルールを破ってみてください。
すると、今まで自分を縛っていたのは自分だと気づき、自由に生きられることに気づきます。

ルールを破るときに抵抗があるかもしれませんが、このルールは守る必要のないものです。
親の教えや社会的な流れを真に受けて、これは守らなければならないものと勝手に思ったものです。
現に、自分が守らなければと思っているルールを守らずに生きている人もいます。

要は、色んな人の話を真に受けて、あれもこれもやらなければと勝手に自分を律してきたということです。
それ自体、別にいいことでも悪いことでもないのですが、
それで息苦しく死にたいと感じているのであれば、そのルールを外していってください。

自分の幸せや満たされた気持ちに比べたら、そのルールがどれほど意味のないものか。
幸せに生きるために培ってきたルールによって苦しくなっているのなら本末転倒です。
ぜひ、勇気を出して自分を縛るルールを壊してみてください。

4.自由に生きる上でのブレーキ

前の章でルールを一つずつ捨てていけば、自分の自由なスペースが広がり、
人生で感じるべったりとした息苦しさや閉塞感はなくなっていくという話をしました。

ただ、このルールを捨てていく上で心理的なブレーキが発生するかもしれません。
(もし、ブレーキを感じない場合は自分のルールを破るという実践をしながら、
ルールなんていらなかったと気づいていってくださいね)

このブレーキは多岐に渡るのですが、
このブレーキを一言でまとめると「真に受けている」ということになります。

  • 人に迷惑をかけてはいけないと真に受けている
  • できるようにならなければと真に受けている
  • こう生きなければ自分の価値がなくなると真に受けている
  • 人に気を使わないと嫌われると真に受けている
  • 人に嫌われてはいけないと真に受けている
  • 自分は愛されない人だと真に受けている

自分のルールを守るのは、そこに目的があるからなのですが、
達成しなくてもいい目的を信じ込んで、その目的を達成するために自分にルールを課しているのです。

嫌われないために愛想よくするというルールを自分に課しているとして、
愛想が悪くても嫌われないこともあるし、そもそも人には嫌われてもいいのだけど、
「嫌われないため」という目的を達成するために、自分にルールを課して自分の自由を狭めているのです。

だから、一度、その目的を諦めてみてください。
自分に課しているルールの裏にどんな目的があるか考えてみて、
その目的をいい意味で諦めるということです。

迷惑をかけて、他人に認められず、自分の価値を上げず、
誰かに嫌われ、誰かに愛されることも一度諦めるという具合です。

この目的を諦めて、自分のルールを破ることによって、
その目的としているものは元々いらなかったことに気づいたり、
素の自分で元々持っていたものだと気づいたり、今までと異なる世界を知ることができます。

この辺りは実際にやってみることで体験を伴って腑に落ちていくものなので、
話を聞いただけでは実感を伴って理解はできないと思いますが、
いらないものや既に手元にあるものを追い求めるという滑稽なことを私たちは頻繁にしています。

それも人生を生きる上での「面白さ」や「おかしさ」で、一つの経験だと個人的には思っているのですが、
その「面白さ」のために、自分の人生を狭め死にたいと感じる必要はありません。

死にたいと感じるくらい窮屈であるならば、今まで守ってきたルールを勇気を出して破り、
求めていたものがいらなかった、求めているものはすでに持っていたなど、
新しい世界に気づくと共に、楽に自由に満たされてみてください。

私たちが苦しいときは、不要な何かをただただ真に受けているだけなのです。
苦しい考えやルール、人の言うことを真に受けて苦しくなっているだけです。
ぜひ、真に受けちゃっている自分を面白がって、そこから離れてみてください。
驚く程、簡単に楽になっていきます。

5.どうせという拗ね(すね)

そして、真に受けているという話でもあり、
自分の人生を一番絶望した気分にさせるものは、「どうせ」という諦めです。

  • どうせ愛されない
  • どうせ認めてもらえない
  • どうせ嫌われる

どうせ愛されないのなら何で生きているのだろうと疑問に思うかもしれません。
しかし、この出発点が間違っています。

「どうせ愛されないのであれば」と感じるとき、
出発点は「今、愛されていない」というところが出発点になります。
悩みや苦しい気持ちが湧いてくるときは、必ずこの出発点が間違っているのです。

自分の認識と客観的な事実がずれていると絶対に困惑します。
つまり、客観的な事実としては愛されているのに、自分の認識は愛されてないと感じるとき、
今後、いくら愛されるという事実が起きたとしても、愛されているという実感は沸かないのです。

すでに愛されているのに愛されようと頑張ったり、
すでに愛されているのにその愛情を見て見ぬふりをしたりします。

だから、今はそう思えなくても「この状態で今愛されている」「この状態で認められている」
「この状態で受け入れられている」ということにしておいてください。

愛されることや認められること、受け入れられることは、
何か魔法のように現実をキラキラと一変させてしまうものではなく、
今、実感のないそのつまらない状態がすでに愛されているという状況なのです。

そのことに実感を伴って気づいた瞬間に、魔法にかかったように現実は一変します。
望んでいるものが手に入った瞬間ではなく、望んでいるものがすでに手に入っていたと気づいた瞬間に革命が起きるのです。

と言っても、全然腑に落ちないですよね笑
それでいいと思います。
ただ、話として「これで愛されている」ということを知っておいてください。

小さな頃に親や近しい人から悲しい思いをさせられると、
「自分は愛されない人」という当たり前を作ったり、「どうせ愛してくれない」と拗ねたりします。
そして、その後の人生で愛されない場面を探しては、「ほらやっぱり」と自己説得するのです。

しかし、一切愛されていなかったかというとそんなことはないし、
自分は愛されない人なんてことはありません。
たまたま、小さい頃の悲しい出来事を真に受けて、自分という人を決めてどうせと拗ねたのです。

自分という人は愛されない存在で、今後ずっと愛されないんだと感じると、
それは人生に希望は持てませんよね。

そんな絶望を抱きながら生きることが辛いのであれば、
「自分は愛されない人」という決めつけと「どうせ愛されない」という拗ねをやめてみてください。
「これで愛されいるんだ」「今までも愛されてきたんだ」「どうせ私は愛されている」そう自分に言い聞かせてみてください。

また、「自分は愛されない人」という決めつけと「どうせ愛されない」という拗ねをやめるという話を聞いた時に、
怒りが湧いてきたときは、まずその怒りを味わってみてください。
詳細は長くなるので割愛しますが、湧いてくる感情に要らないものはないので、
怒りが湧いてくるのであれば、まず怒りを十分に感じてみてくださいね。

6.まとめ

今回は、「死にたい」というテーマで話をしました。

自分の人生なんだから自由にしていいのです。
今まで育ててくれた親、お世話になった人、自分に期待してくれる人、色々な人がいるかもしれませんが、全て、関係ありません。
自分の人生なんだから好きに生きてください。

そして、誰かの人生はその人が好きに生きたらいい。
お互い干渉せず、口を出さず、人の荷物を背負い込まず自由でいいのです。

勝手に何か真に受けて、人のため、期待に応えるため、上に上がるため、と、
自分の自由を狭めて窮屈な人生にする必要はありません。

逆に、自分の人生を狭めにくる人とはきちんと距離を取る選択をするということです。
それは逃げと表現されるかもしれませんが、そんな人や社会からは逃げたらいいです。

この世界でやらなければならない唯一の仕事があるとしたら、自分を守ることです。
自分の自由を侵害しようとする人やルール、真っ当そうに聞こえるアドバイス、
子供とは、学生とは、社会人とはという押し付け、そんな不要なものから自分を守ることが唯一の仕事です。

自分を幸せにするのが自分の仕事だということです。
ぜひ、自分より誰かを優先するのではなく、ルールを守るために自分の自由を狭めるのではなく、
これから、自分の自由を目一杯広げてみてください。

この世界は苦しく生きようと思えばいくらでも苦しく生きることができます。
最初に自分が真に受けた教えが苦しければ、当たり前に苦しい選択をしがちです。

しかし、逆に、その苦しい教えに気づいて、楽に生きようと思えばいくらでも楽に生きることはできます。
この世界は実は優しいし、助けを求めれば多くの人が助けてくれます。
一部の人との関わりで「この世界」を決めつけて真に受けないでくださいね。

死にたいと感じるこの世界が何をしたら形を変えていくのかわからない場合は、
カウンセリングも活用してみてください。

楽に満たされていく方向性、実践する上でのブレーキやブレーキの外し方、
苦しい価値観が作成された根本のきっかけからのアプローチなど、
根本から自由に生きやすくなるアプローチをその方に合わせて行っていきます。

また、息苦しい気持ちや理由のわからないストレスを感じるのはなぜかに、
息苦しさについて別角度で書いているので参考にしてみてください。

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